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【芸能】ジミー大西、画家としてオファー殺到「いちばん高く売れた絵は700万円」も“時給380円”の現実に「画家なんか引退じゃ!」<しくじり先生>
芸歴40年となる、画家でお笑い芸人のジミー大西が登壇した、過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが、自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(毎月第1~3金曜夜9:00-9:30、第4金曜テレビ朝日地上波放送終了後~/ABEMA SPECIALチャンネル)の9月2日の放送では、“最終章”として“画家時代”のしくじりや画家としての苦悩について授業を行った。
【写真を見る】明石家さんま師匠の言葉で再び絵と向きあうようになったジミー大西
前回の第2章では、度重なる散財の末、“キャンピングカーで借金取りから逃げ回る”という借金地獄となったものの、明石家さんま師匠の言葉をきっかけに絵の才能を開花させたジミー先生は、世界的な芸術家の岡本太郎さんからも「キャンバスからはみ出しちゃえばいいじゃない」とお墨つきの言葉をもらい、芸人引退&スペイン留学を決意するなど、画家としての道を歩み始めた。最終章となる今回は、その先生の“画家時代”のしくじりと、芸人、画家としての現在までの軌跡をひも解いていった。
■スペイン留学後
スペイン留学後、画家としての評価がうなぎ登りとなり、オファーが殺到したというジミー先生は、絵の仕事が次々と決まり、現地で個展を開催するほど、注目を集めていたと語る。
個展では、「レセプションでマスコミがどれだけ入るか」が評価のカギだと言い、「それで(たくさんマスコミが)入って、すごく依頼が殺到した」とふり返ると、「いちばん高く売れた絵は700万円」とも明かし、生徒たちを驚かせる。
画家として順風満帆に思えた先生だったが、毎日、絵を描いていくなかで、「いつのまにかスランプに陥り、制作スピードがガタ落ちしてしまった」と告白した。次第に何を描けばいいのかわからなくなり、岡本さんにもらった「キャンバスをはみ出せ」という言葉の真意について、自分のなかで模索する日々が続いていたと、当時の苦悩を明かす。
その後、活動拠点を転々とし、日本に帰国した先生は、ある日、“画家の仕事を時給に換算したら時給380円”という現実に気づき、「こんな仕事やってられるか!画家なんか引退じゃ!」という想いにかられてしまい、「さんまさんにも相談せずに、勝手に辞めたんです。辞めたことも公表しなかった」と、これをきっかけに画家を辞めてしまったと打ち明けた。
そこで生徒から、画家としての評価も高く、絵の買い手もついているような状況のなかで、なぜ絵から離れてしまったのかと尋ねられた先生は、「陰と陽なんですよね。芸能界は陽なんです。芸能界のテンションで絵なんて描けない。絵は陰なんですよ」と持論を展開し、「陰から陽に入るのがものすごくしんどい」「陰に入ったら、絵を描くのもつらくなってしまう。陰にハマってしまうとブラックホールですね」と当時の心情を吐露した。
■「なんでお前、絵を描かない?」
そして、再び芸能界へと戻り、芸人としての活動を始めたジミー先生だったが、そこでまたもや“ギャンブル三昧の借金生活”に逆戻りしてしまう。
東京に住みたいからと会社(吉本興業)に借りた100万円も、家探しをしているあいだに使いこんでしまうなど、散財をくり返していたと語る。
そんな生活を送るなか、あるとき、さんま師匠に「なんでお前、絵を描かない?」と聞かれ、「時給が380円なんで、もう絵描きません」と正直に話したという先生に、さんま師匠は「ジミー、一回、メシ行こうか」と食事に連れ出してくれたと言い、先生は食事をした当時の状況や会話を事細かに再現していくが、さんま師匠が先生にいったいどんな言葉をかけたのかと期待しながら、耳を傾けていた生徒たちは、なかなか核心に迫らないジミー先生にしびれを切らし、「もう食べ方はいい!」「細かいなぁ!」と不満が噴き出す。
教室に笑いが起きるなか、気を取り直し、さんま師匠の言葉をふり返っていくジミー先生だったが、感動のフィナーレかと思いきや、最後まではちゃめちゃなジミー先生の言動にふり回される生徒たちだった。深い絆を感じられるさんま師匠とジミー先生のほほえましいやりとりや、先生が再び絵と向きあうようになったさんま師匠の言葉など、笑いあり感動ありのジミー先生の授業“最終章”を見ることができる。