【芸能】中居正広、ヤンキー時代の「人生の決断」」巡るツッパリタレントとの「関係」とは

【芸能】中居正広、ヤンキー時代の「人生の決断」」巡るツッパリタレントとの「関係」とは

【芸能】中居正広、ヤンキー時代の「人生の決断」」巡るツッパリタレントとの「関係」とは

ヤンキーだった。

 8月の誕生日で、元SMAPメンバーで初めて50歳の大台に乗った中居正広。元野球少年だったことは有名だ。

 神奈川・鵠沼で生まれ育って、小学生で辻堂へ引っ越した中居。少年野球のチームに入部して、毎日のように河原で練習した。チーム全体が一丸となって勝ち点をあげていく野球のルールは、その後の人生に好影響を与えたと言えるだろう。芸能界に入ってグループ活動をはじめ、テレビ収録やドラマ・映画を撮影するうえで、連携の重要さを知った。さらに、4番バッターは1グループに1人でいいという成功学も身につけた。

 将来は読売ジャイアンツの選手になりたかったが、ケガで断念。やぶれかぶれになってしまい、男友達とつるんでヤンキーに。最寄り駅の辻堂駅でたむろするなどのかわいいヤンチャで、成績はみるみる降下。進学できる高校が数校に絞られたという。

「候補にあがったのは、嶋大輔の出身校か杉本哲太が通った高校の2つ。2人とも共通してヤンキーキャラです。当時は低めの偏差値でしたが、30年以上たった現在は進学校になっています。中居は“嶋大輔のほう”を受験して合格しました。選んだ理由は、お兄さんの母校だったからです」(アイドルライター

 中居はヤンキー体質が抜けきっていなかった頃、学校帰りの電車で他校の男子学生たちと一触即発。こっちは4人で相手は8人。最寄り駅に着いた瞬間、「逃げろー!」と叫びながらいっせいに逃げたという。

 後にSMAPの活動が忙しくなることを見越して、東京の高校の定時制に編入。18歳で、都内のひとり暮らし生活を始めた。

「今でも週末にオフができると、車で辻堂に帰っては、1学年下の後輩が経営している大衆的な居酒屋に旧友たちと集っているそう。若い頃は、シメでインスタントラーメンを食べるのが常だったそうです」(前出・アイドルライター

 当時、足しげく通っていた複合遊興施設の「テラスモール湘南」や「湘南モールフィル」は、今なお健在。ランチして帰ってくるのがお決まりのコースだった。「湘南モールフィル」で買いそろえた食器の数々は、都内のマンションでの長い独身生活で今も使っているのだとか。

 08年、主演映画「私は貝になりたい」が公開された。劇場挨拶で辻堂の映画館を訪れた際は、当たり前のように前日入り。旧友たちといつものように深酒した。舞台挨拶当日、その友だちが客席にいたため、ステージにあげた。「昨日こいつらと飲んでいたので、二日酔いになりました」と“中居節”全開で、ファンを楽しませた。

 サーフィンはしないが、海がある辻堂を愛した中居。将来はマンションを買おうか、思案した時期もあったという。

(北村ともこ

アサジョ

(出典 news.nicovideo.jp)

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