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安倍元首の国葬に反対するのは“非国民”?
◆民主主義を守ると言いながら、民主的手続きをすっ飛ばす
もう、そっとしておいてやれと言いたいが、死者を利用して商売したい連中が後を絶たない。
岸田文雄首相は、早々と安倍晋三元首相の国葬を決定した。時間があるのだから、もう少しゆっくり決めれば良かったと思うが……。
外国からの弔問客が多く、対応がしやすいのと、民主主義を守る為に、国葬にするとか。しかし、これでは国民葬でも、内閣自民党合同葬でもなく、国葬にする理由にはならない。
まさか国葬にする基準を、外国人に決めてもらうのか。別に国葬でなくても、外国からの客人への対応は今までも問題ではなかった。こちらは理由にならない。
銃殺、しかも選挙の遊説中の政治家に対する殺人事件に対し、民主主義を守るから、あえて最高形式の国葬にする。これはわかる。だが、岸田首相は「内閣法制局と相談して決めた」「野党は議会での説明を求めているが、応じない」などの態度だ。民主主義を守ると言いながら、民主的手続きをすっ飛ばす。何を考えているのか。
◆安倍御用が故人を偲びたいなら、安倍神社でもなんでも建てれば良かろう
生前の安倍元首相に媚びへつらっていた御用言論人の惨状は目も当てられない。曰く、「国葬即断のみが正解」「国葬を即断しないと世界の笑い者」「国葬の基準など後で良い」などなど。そして「国葬に反対する輩は日本人か?」と。
別に、安倍御用が故人を偲びたいなら、安倍神社でもなんでも建てるなり、おとなしく社会の片隅で奉っていれば良かろう。この手合いが大声で「安倍神格化」をやらかすから、半分の国民が安倍氏の国葬反対に回るのだろう。私だって安倍元首相の国葬には反対ではないが、「無条件で賛成しなければ非国民」と決めつけられれば、「非国民で結構」と言いたくなる。こうした安倍政権時代の空気を引きずる言論は、政界にも影響を与えている。
◆安倍さんの国葬に、反対する奴は非国民? お前が決めるな!
一つは、岸田首相の議会軽視。先週の本欄で詳述したが、「内閣法制局と相談して決めたので問題ありません」で済むなら、何の為の選挙で、議会で、法律だ。法制局は法律解釈に関して意見を言うだけの役所だ。法律の解釈を、選挙で選ばれた政治家が官僚に委ねてどうする? これは別に野党に配慮して、議会で丁寧な説明をと言っているのではない。政権幹部が官僚とだけ相談して物事を決めるのは、与党軽視でもある。与党にも聞いてないのだから。
一つは、茂木敏充自民党幹事長の態度。メディアは、茂木幹事長が「国葬に反対する野党はズレている」と発言したと報じた。自民党ホームページで原文を確認すると「野党の主張、ちょっと聞かなければ分かりませんけれど、国民の声、認識とはかなりずれているんじゃないかなと、こんなふうに思っております」である。本当に言っているし、自民党は恥ずかしいこととも思っていない。
これでは、政権与党が「国葬に反対する者は国民ではない」と言っているようなものではないか。ならば、言い返すしかない。安倍さんの国葬に反対する奴は非国民? お前が決めるな!
◆自民党は横暴な振る舞いをしているが、民主政治とは説得の政治だ
ズレているのは、岸田自民党の方だろう。そもそも、選挙は何のためにやるのか。根本的には、政治の決定で殺し合いをやらないためだ。ただし、投票箱を持ち込んで多数決をやれば、即座に民主主義になるのではない。民主政治には、三つの要素がある。第一に、言論の自由。第二に、最終的な多数決。第三に、再挑戦の機会保証。
民主政治が殺し合いではなく話し合いの政治である以上、全員がまとまれば必ずしも投票の必要はない。だが、国政においては稀である。だから選挙によって決着させると最初から決めておくだけだ。別に多数派が正しい訳でも何でもない。そしてその多数は決して永遠に固定されるものではない。必ず何年か後に選挙は行われ、少数派は多数派になる再挑戦の機会が得られる。
すなわち、民主政治とは説得の政治なのだ。多数を得るために、全体を説得する。任期が終われば必ず選挙があるので、多数派は多数派であり続けるために説得を続けなければならない。
◆敵は単に立場が異なる者であり、悪魔でも犯罪者でもない
そして、少数派は政権与党にとって敵かもしれないが、犯罪者ではない。犯罪者は悪だが、敵は単に立場が異なる者だ。状況が変われば味方になるかもしれない。そもそも、民主政治における与野党は、主張や背負っている利害が異なるだけで、同じ国民だ。
ところが、世界的に保守とリベラルの「分断」が激しくなりすぎた。日本も然り。親安倍の保守も反安倍のリベラルも、お互いを悪魔のように罵る。まるで宗教戦争だ。近代化とは宗教戦争からの決別、「立場が異なる敵であっても、同じ人間ではないか」との思想から出発した。
それを我が国では、政権与党の方から挑発している。岸田首相は、自民党総裁選、衆議院選、参議院選と、すべての選挙に勝った。なぜ自信を持てないのか。
確かに「選挙に勝てば次の選挙まで政権与党は何をやっても良いはずだ」との考え方もあろう。気に入らなければ、国民が次の選挙で審判を下せばいい、と。しかし、現実の日本の国政選挙では、自民党以外が選択肢になりえていない。自民党がどんなに横暴な振る舞いをしようが、国民に制裁されることが無いなら、政権与党は無限大に増長するに決まっているではないか。
自民党は、ある時期までは政権与党として役割を果たしてきた。間違いなく、日本人を食わしてきた。だが、この30年ほどはどうか。他がもっとひどいから惰性で権力の座に居座っているだけではないか。「結果さえよければそれでいい、国民は一切の文句をつけるな」といった権力主義的な態度だと、その結果も出せなくなるのが世の常だ。
◆「選挙で勝ったから何をやってもいい」ではない
ところで、日ごろは意見が一致したためしがない、立憲民主党と日本共産党、日本維新の会と国民民主党の4党が、国葬の件に関しては一致した。「政府に議会での説明を求める」だ。そもそも政府は法律の強引な解釈で国葬を強行するのだから、議会で説明する責任があるのは当然だ。野党にマトモなことを言われ、政府は野党の悪口だけを言っていられなくなった。
「選挙で勝ったから何をやってもいい」ではなく、「選挙に勝って権力を振るうのだから、その根拠を説得し続けなければならない」のだと政府与党は肝に銘じるべきだ。
【倉山 満】
’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。著書にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、『嘘だらけの池田勇人』を発売
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