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《独占公開》ガーシーを誕生させた「ロンブー田村淳」と「関東連合」の強烈な事件とは
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■ロンブー田村淳とのファーストコンタクト
「芸能人のアテンダー」として裏社会でデビューする前のガーシーは、ミナミ(大阪の繁華街)でヤンチャをしながらブイブイ言わせていた。今から30年近く前、ロンドンブーツ1号2号の田村淳とバーで偶然出会ったことをきっかけに、ガーシーは東京へ進出することになる。〈ロンドンブーツ1号2号の田村淳と初めて会ったのは、1994年やったと記憶している。あのころ俺は、中古車販売業、板金工場、イベント企画の仕事をこなしていた。さっき話した景気の良かった時代や。
ミナミ(大阪)に、芸能人がよく来るバーがあった。友だちと一緒にその店にいたら、ロンブーの田村淳と田村亮が俺の知り合いの女の子と飲んでいた。俺と一緒にいた友だちが「なんやあいつら。ヒガシ(注・ガーシーの本名・東谷義和)の女に手を出しよって。からみに行くわ」と怒り出した。
いきり立ってからみ酒をしに行きかけたら、店のオーナーが血相を変えて「芸能人やからやめてほしい。勘弁したってください」と必死に止める。淳は未だによく「あのときはヒガシさんたちに殺されそうになった」と苦笑いする。ミナミでの一触即発が、淳とのファーストコンタクトや。
淳と再会する機会はじきに訪れた。ガンバ大阪の廣長優志というサッカー選手がいる。のちにU-23日本代表として、アトランタオリンピックで活躍したスターや。廣長が俺に連絡してきて「芸能人の友だちが東京から大阪へ来るから、一緒に飲まないか」と言う。
大阪市福島区にある「HIMAWARI」というイタリアンバルに呼び出されて出かけたら、そこに淳がいた..
【日時】2022年07月30日
【ソース】現代ビジネス【関連掲示板】