【芸能】スターウォーズより早かった…緻密な設定でSFマニアをうならせた「40年前の少女漫画」の常識破り

【芸能】スターウォーズより早かった…緻密な設定でSFマニアをうならせた「40年前の少女漫画」の常識破り

【芸能】スターウォーズより早かった…緻密な設定でSFマニアをうならせた「40年前の少女漫画」の常識破り

そうなんだ。

少女漫画家・萩尾望都さんの代表作『11人いる!』は、なぜ高く評価されているのか。評論家の長山靖生さんは「舞台は遠未来の宇宙。発表当時は『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』などが流行し、SFがブームになっていたが、発表はそれより早く、時代を先駆けていた。しかも緻密な設定で、SFマニアをうならせるほどだった」という――。

※本稿は、長山靖生『萩尾望都がいる』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■SFブームに先駆けた『11人いる!』

1970年代は、少女漫画におけるSF躍進期でした。もちろん漫画全体で見れば戦前からSF的な作品はあり、戦後すぐに手塚治虫が描き、石森章太郎藤子不二雄らもSF物を描いていました。少女漫画誌でも当時の主たる描き手だった男性漫画家が、手塚「ロビンちゃん」(1954)、石森「みどりの目」(1957)などのSF少女漫画も描いています。

1960年代に入ると女性漫画家の活躍が増え、次第に描き手が交替しますが、女性によるSF作品はまだ稀でした。それが急速に発展するのが1970年代です。

1975年の注目作は何といっても『11人いる!』です。

まず強調しておきたいのは『11人いる!』が1975年の作品だということ。つまり劇場版宇宙戦艦ヤマト』(1977)や『未知との遭遇』(同、日本公開は翌78)や『スター・ウォーズ』(同、日本公開は翌78)より前で、SFブームに乗った作品ではなく、その先駆けだったという点です。

もっとも、『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ版はすでにありました。『11人いる!』では背景や宇宙船メカニックデザインは自身でしたものの、メカを手伝えるアシスタントが身近にいなかったため、以前から親しかった松本零士アシスタント紹介を頼んでいます。

■「SFそのものの持つ魅力の1点を見事に表現」

米沢嘉博『戦後SFマンガ史』(ちくま文庫)には、1974、75年の項では少女漫画作品への言及はなく、75年で取り上げたのは、やはり『11人いる!』です。

なんといってもこの年の少女SFマンガの大作は萩尾望都の「11人いる!」であろう。

宇宙大学のテストのために乗り込んだ宇宙船の中にまぎれ込んだ1人のよけい者をめぐって、密室劇が展開される。さらにさまざまな問題が発生し、11人の異星人達のメンタリティの違いや、それぞれの過去がひきずり出されてくる。洗練された萩尾望都テクニックは、その宇宙の密室ドラマを、緊張を持続させたままラストまで一気にもっていく。これもまたSFマンガの新たな道だった。

しかも、SFのムードをたっぷりともっていたのである。宇宙大学のテスト生達がそれぞれの道に向かっていくラストのコマは、SFのイメージの広がりを結晶させ、そのドラマの裏側に広がる圧倒的な宇宙を思わせる。──それはSFそのものの持つ魅力の1点を見事に表現していた。

■宇宙飛行士も驚いた登場人物たちの移動方法

米沢の紹介にもあるように、『11人いる!』の舞台は遠未来の宇宙。人類がワープ航法や反重力推進装置を発明して宇宙へ進出してからもかなり時を経ています。人類はいくつもの星系に植民しながら広がり、やがて宇宙人とのファーストコンタクトを経て、テラ(地球連邦と51の植民惑星との総合政府)として知的宇宙人たちからなる星間連盟にも加盟し、さらなる発展を目指しているところです。

11人いる!』では、テラからの受験生タダの他、サバ、セグル、ロタなどより有力な星系からの受験生らが登場、それぞれの異文化(というか異なる生命・身体構造など)が少しずつ語られていくあたりも、SF的にはとても魅力で、細部の構想、設定がきちんとしていました。

たとえば作中、宇宙空間での船外活動では、宇宙服に付いている推進用具を調整しながら移動しています。発表から40年後の現在、宇宙服は実際にそうなっており、宇宙飛行士の山崎直子は〈まさにまったく同じです。これを想像で描かれたというのはすごいですね〉(対談、『萩尾望都紡ぎつづけるマンガの世界』収録)と驚いています。

■「数学的だからこそ美しい宇宙」が描かれている

その一方、受験生の中に女性がいることに男たちが驚く場面があることは、女性の社会進出がまだ一般的ではなかった当時の社会認識を反映していました。

彼ら宇宙大学受験生が最終テストサバイバルする「外部とのコンタクト不可能な宇宙船(白号)」では、アクシデントから船内で感染症が発生、また恒星に引き寄せられて危険になったために居住区の一部を爆破し、その衝撃を推進力として引力圏から逃れる場面があるのですが、その描写も科学的に計算が行き届いています。

じつは中盤辺りから宇宙船・白号が居住空間を下(恒星向き)にして恒星に引き寄せられているのが気になりながら読んでいたので、そこの爆破という展開になった時、「伏線か!」と嬉しくなりました。

近年、萩尾が白号の軌道計算をきちんと数学的にしていたことも知り、唸ったものです。数学的でありながら、美しい宇宙。いや、数学的だからこそ、美しい宇宙!

■20世紀の常識を破り、「男女の対等」を探る物語

小松左京は〈SF的な骨格の強さとストーリー性、そして表現力に驚いた〉(「モト様」『文藝別冊総特集・萩尾望都2010)と回想し、手塚治虫は〈あなたのSFマンガについては、女性ファン、男性ファンを通じて、SFファンミックスしてる〉〈SFファン=萩尾ファン、というのが多い〉〈『11人いる!』は、スペース・オペラとしての傑作だと思ってるんです〉と述べ、さらに〈『トーマの心臓』とか、有名なドラキュラの話『ポーの一族』なんていうのは、完全にニューウェーブに近い〉(対談「SFマンガについて語ろう」『別冊新評』41号、1977年7月)とも言っています。

ニューウェーブSFは、外宇宙から内宇宙──心理内奥や精神世界へと探究の対象を広げた作品です。つまり萩尾SFは内面探求の物語だとの指摘でした。

また当時は気付かなかったのですが、『11人いる!』は対等な関係性を探る物語でもありました。それは萩尾望都の特徴であり、やがて佐藤史生や水樹和佳にも引き継がれる新たな男女関係・人間関係の模索表現でした。

少年漫画でも友情はドラマの要のひとつですが、そこにはおのずから主従関係にも似たリーダと支え手の役割分担があります。『巨人の星』の星飛雄馬と伴宙太はその典型。対等であるためには『あしたのジョー』の矢吹丈と力石徹のように真っ白燃え尽きて死ぬまで戦い続けねばならない。

男同士でそうなので、まして男女の真の対等など、80年代90年代になっても少年漫画ではギャグ以外には存在しなかった。少女漫画でも主流はやはり男女役割分担型恋愛。それはいわゆる少年愛物でも20世紀には同様でした。対等ではなく主と従がある関係。

その固定概念を静かに自然に、しかし決然として破り始めたのが萩尾望都でした。

この作品は科学設定にうるさいSFマニアにも熱く支持され、毎年夏に開催されるSF大会などでその場にいる人数を数えて、何人いても「11人いる!」と言うのがしばらく流行りました。私たちの世代は今もやるかも。

■愛されるジェンダーSFのアイドル、フロル

この作品に登場する宇宙人たちは、みな個性的でそれぞれ人間的(?)な魅力がありますが、一番気になるのは何といってもフロルベリチェリ・フロルの存在でした。辺境惑星ヴェネ出身のフロルは、美少女に見えるのに男だと自称し、他の受験生たちを困惑させます。

じつはフロルは、幼少期は雌雄未分化な種族で、その時々の当人の意思や感情を反映して少年のようにも女性のようにも見えるのですが、萩尾はそれを服装やポーズではなく、表情だけで描き分けました。

それだけでも驚異的ですが、フロルが画期的だったのは、性別を自己選択できるという設定のその存在を通して、男性と対等であることを自明として生きる女性を描き出した点にあります(最終的にフロルは女性になることを選択)。

■気ままな性格なのは「そのキャラだから」

今では男女の平等は、理念だけでなく感覚的にも自明ですが、当時は、社会的扱いも男女双方の自覚面でも、大きな違いがありました。1970年代はウィメンズ・リベレーション(通称ウーマン・リブ)運動が注目された時代でもありましたが、そこでは対男性の「闘争」が強調され、また女性解放を性の解放と捉え、性的放恣を「進歩」とみなす風潮もありました。萩尾作品にも自分の現状と戦う男女が出てきますし、性的に放恣な女性も登場します。

しかし萩尾作品の男女は、恋をするにあたり、それをイデオロギーとして行うことはなく、またイデオロギーを口実にすることもありません。萩尾作品では男性であれ女性であれ、気が多いのはその人の性格であり、意思の問題です。恋は個人の領域に属し、結婚は個人と社会(家族)にまたがる問題、そして社会的対等性は個人の指向を超えて社会的課題です。

■宇宙人たちが対立よりも対話を重んじる姿を描き切った

余談ながら「ポーチで少女が小犬と」(『COM』71年1月号)作中の本棚に並ぶ本のタイトルは、人物や吹き出しで隠れつつも、いくつかは読み取ることができます。そこには『星の王子さま』『恐るべき子供たち』『メアリー・ポピンズ』『罪と罰』、さらには『COM』や〈ピーナッツシリーズ〉(スヌーピーの本)の幾冊かが並んでいるのですが、驚いたことに『11人いる!』のタイトルも見えるのです。75年に発表されることになるSF作品の構想が、70年の時点ですでにあったことが窺われます。

11人いる!』の発想元は宮沢賢治の「ざしき童子のはなし」だそうですが、そういえばクールキャット」(『なかよし』70年2月号)のローマ字ラクガキには〈民話も好きだよ〉という一節がありました(※)

(※)SFファンである萩尾望都は、少女漫画でSF作品を描くOKが出なかったとき、描きたくても描けない自分の好きなものたちについて、しばしば作品中にローマ字落書きして告白していた。

フロルは座敷童ではありませんが、みんなが気になる存在。その後、タダと恋人同士になるのですが、喧嘩すると時々「男になる!」と宣言して、女性にモテたりします。『11人いる!』の続編『東の地平西の永遠』では、危険を冒すタダが、どうしても一緒に行くというフロルに「……じゃあ婚約を解消しよう/つれて行けない」と言うのですが、けっきょくフロルは「オレついてくよ/おまえがあまいの/ちゃんと知ってるもん」と我意を通す場面があります。男であれ女であれ、フロルは自分の意志を貫き、冒険も辞さない存在なのでした。

11人いる!』ではジェンダーにとどまらず、多様な歴史的背景や体の組成を持つ宇宙人たちが登場し、多様な思考を見せます。そんな彼らが受験という一種の競争の場において、疑惑よりも信頼を、対立よりも対話を重んじる姿を描き切ったことが、SF少女漫画の存在意義を強く印象付けました。

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長山 靖生(ながやま・やすお)
評論家、アンソロジスト
1962年茨城県生まれ。鶴見大学大学院歯学研究科修了。歯科医の傍ら、近代文学、SF、ミステリー、映画、アニメなど幅広い領域を新たな視点で読み解く。日本SF大賞日本推理作家協会賞本格ミステリ大賞(いずれも評論・研究部門)を受賞。著書多数。

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『萩尾望都スペースワンダー 11人いる! 復刻版』(小学館)

(出典 news.nicovideo.jp)

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