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【芸能】日本のテレビで干されても復活できる時代に のん〝独立騒動〟で仕事激減も…台湾や中国からオファー殺到で6億円の稼ぎ
夕刊フジ
長らく地上波から遠ざかっていた、のん
【芸能界パワハラ・セクハラ事件簿】
映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)は、俳優、西島秀俊に苦節の末の栄誉をもらたすことになった。作品はカンヌ国際映画祭で脚本賞を獲得したほか、アカデミー賞では国際長編映画賞など国内外で約90の賞を受賞。西島自身も日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に輝いている。
【写真】ドラマや映画にひっぱりだこの西島秀俊
大学在学中、大手プロダクションのオーディションに合格し、21歳の西島は俳優としてスタートする。しかし映画志望だった彼は、イケメン路線に反発し移籍する。ここから数年間、冷や飯を食うことになる。
当時、事務所の移籍は起用を敬遠されがちだった。プロダクションが圧倒的優位な時代だったのだ。だが北野武監督に見いだされ、2002年に映画「Dolls」に主演。03年からドラマにも出演できるようになった。*ボックスから抜けだしたのだ。
記憶に新しいのは、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」に主演した当時、本名の能年玲奈で活動していた、のん(28)の独立騒動だ。
当時、「給料5万円」や「明日着る下着がない」「財布に200円しかない」など悲惨な状況が報じられ、独立が取り沙汰されるが、そう簡単にはいかなかった。
彼女の仕事はドラマ後の2年間で、映画2本と20分のドラマ1本だけという状況になり、本名での活動もままならず、彼女はのんに改名することになる。
のんや、2016年に退所・解散騒動を引き起こしたSMAPのようなケースが、公正取引委員会の目にとまり、「移籍制限は独占禁止法違反に当たる」という論議のきっかけになったともいわれている。
それでも、のんの再起は不可能と思われた。だが奇跡の復活を果たすことになる。
農協や岩手県のCM出演に始まり、配信メディアへの出演、さらに台湾や中国からのオファーが殺到し、日本でのテレビ出演はほとんどないのに6億円を稼ぎ出すようになる。
テレビで干されても怖くない時代になった。それだけテレビの力は落ちたということだ。そして、それ以上にタレントのめげない努力が古い体質の芸能界の壁を打ち破っていくことになる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02cdf4050065f8746332802faee6c76591f617cd
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