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【芸能】インドネシアへ渡った元AKB48、週5本テレビ出演の売れっ子に「CMはトータル20本以上」
ブレーク当初は「私がやりたいことなのかな」と戸惑い
ジャカルタに移籍して10年の仲川遥香が現在の生活について語る
2007年にAKB48チームBとしてデビュー。12年からはインドネシアが拠点のJKT48に移籍した仲川遥香。「世界で最も影響力のあるツイッターアカウント」にもランクインし、現地ではCM女王でもある。移住から約10年がたつがどんな仕事をして、どんな生活をしているのか。現在の仲川に話を聞いた。(取材・文=島田将斗)
【写真】大きな窓からは絶景! 豪邸住みのうわさがあった仲川遥香の部屋
週に3本、多い時には5本のテレビ露出。大塚製薬のオロナミンCや現地スキンケア商品会社とは年間契約でCM出演、インスタグラムやTiktokなどの広告にも顔を出す。インドネシアで間違いなく売れっ子タレントの地位を築いていた。
文字通りの“成功”をつかんでいる。異国の地でのブレークの理由を明かした。
「最初のころは、取り上げてもらうことも少なかったです。日本人でタレントをしているというのがインドネシアで初めてだったみたいです。『日本人の人がいるよ』とJKT48時代に段々と話が広がっていったのがきっかけです」
移籍からわずか2年でレギュラー番組もできた。日本時代には浴びることのなかった視線。注目度にうれしさもありながらも、不安を感じていた。
「今のように毎日テレビに出るとかもなく、日本でもそういう経験がもちろんなかった。『私がやりたいことなのかな』って戸惑いもありました。自分が思っている以上に名前が外に出てしまったので、それに追いつくのに必死でした」と振り返る。
ブレークの実感もあった。「JKT48に入って2年目、3年目くらいは記憶にないくらい忙しくて、その期間だけでCMをトータル20本以上やらせてもらったり、レギュラー番組もあって、コンサートもあって、あっという間にJKTの4年も過ぎちゃいました。そこで一気に自分の人生変わったかなって思いますね」と笑う。
テレビの作りや進行は日本とまるで違う。“日本人キャラ”を最大限に活用してインドネシア芸能界を渡り歩く仲川には、それがフィットした。
「日本って結構台本があって、それ通り話さないといけないことが多いんですよね。ツッコミの場所とかも決まっているみたいな。インドネシアって大まかな台本はあるんですけれど、後は自分のやり方でやっていいんです。それを受け入れてくれる国なのでそこが私にとってはやりやすくて、自分のタイミングで行けるし、緊張せずにバラエティー番組に出られます」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed7b1d7e68677f4610209c5969e5cc2411ea68ee