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安倍元首相銃殺の山上徹也容疑者の“意外な青春時代”と“事件直前の異変”
《安倍元首相銃撃》「家を全然出たがらない子だった」「挨拶しても俯いたり、目をそらす」“計画的な犯行”で元首相を銃殺した山上徹也容疑者(41)の“正体”とは から続く
「名前が徹也なので、中学校時代は親しみを込めて『こてつ』と呼ばれていました。バスケットボール部に所属して運動神経も良く、県内随一の進学校に行けるほど頭も良かったようです。そんな子が日本を揺るがすこんな大事件を起こすなんて……」(山上容疑者の知人)
7月8日に近鉄大和西大寺駅前で応援演説のため壇上に登った安倍晋三元首相(67)が背後から狙撃され、死亡した事件から一夜が明けた。犯行直後、殺人未遂容疑で逮捕されたのは、現場からほど近いマンションに1人で暮らす、山上徹也容疑者(41)。
あまりに唐突な悲報に国内外からは悲嘆と驚きの声があがるなか、謎に包まれた山上容疑者の素顔が徐々に明らかになってきた。
山上容疑者が“危険人物”になった時期
すでに報じられているように、山上容疑者は2002~2005年までの約3年間、海上自衛隊の任期制自衛官を務めていたとされる。8日夜に行われた家宅捜索では、奈良市大宮町の自宅から手製の銃数丁と爆発物が押収され、住民退避が促されるなど、山上容疑者は一見して分かりやすい“危険人物”のように見える。
山上容疑者の印象について、近隣住民からは「挨拶も返さなくて不愛想だった」という声があがる一方、学生時代の山上容疑者の知人たちは、こうした最近の姿とのギャップに驚きを隠せないようだ。
「山上くんは小学校の時、よく遊びましたよ。近所でかくれんぼをしたり、公園でキックベースをしたり、コインランドリーに置いてある少年ジャンプを一緒に読みに行ったこともありましたね。家にもお邪魔したことがあって、一緒にファミコンでマリオをやりました。お母さんも感じの良い優しい方で、遊びに行くと麦茶を出してくれたのを覚えています。おとなしい子でしたが、こんな事件を起こすような人物には見えませんでした」(小学生時代の友人)
別の小中学校時代の同級生も「とにかく頭がよかった」と証言する。
「成績は常にトップ。テストも上位常連組でした。授業中、難しい問題を解説するために先生から指名されることもよくありました。時には勉強しているのか、分厚い本を休み時間に読んでいることもありました。かといって運動音痴でもなく、むしろ休み時間には友達と校庭でドッジボールをしている姿をよく見かけました。
制服をきちっと第一ボタンまでしめるような真面目な生徒で、いつも清潔感がありました。彼女がいるとかは聞いたことなくて、むしろそういったことに興味がないように見えました。でも女子から嫌われるなんてことはなかったと思います」
山上容疑者のあだ名は小学校時代から「こてつ」。中学に進むとバスケットボール部に所属し、活発な学生時代を過ごし、奈良屈指の名門進学高校に進学する。中学時代の成績も良く、文武両道の学生生活を送ってきたようだ。
山上容疑者の高校時代の知人も、学生生活を謳歌する姿を思い、驚きの声を隠せない。
「『団長』と呼ばれる良い子がいる」山上容疑者の学生時代
「私は山上くんよりも1年先輩でしたが、先生が山上くんのことを『「団長」と呼ばれているすごく良い子がいる』と授業中に紹介していたことを覚えています。彼は応援団に所属していたんです。山上くんは背が低く小柄で『デコボコな身長差のなかで他のメンバーに負けずに頑張っているな』という印象が残っています。山上くんはきびきびと動いていたので、さすが伝統校だなと誇りに思いました。自衛隊員だったという過去はしっくりときましたね。
うちの野球部は1998年の春の選抜に出場し、“平成の怪物”松坂大輔さんを擁する横浜高校と対戦しました。公立高校でありながら全国でも勝ち進んだのは快挙で、学内の生徒は皆喜んでいました。結果は完敗でしたが、山上くんもあの場で精いっぱい声を張り上げ応援していたでしょうし、当時の野球部員は全員彼のことを覚えていると思います。青春時代を共に過ごした人間として、記憶に残っています」
順風満帆な学生時代を過ごしてきた山上容疑者が、転落したきっかけは何だったのか。山上容疑者が幼い頃に住んでいた家の近隣住民はこう明かした。
「元々の家庭環境は悪くなかったと思いますよ。山上容疑者の祖父は建設関係の会社を経営していて、ゴルフ好きの上品な育ちの良いおじいさんという印象です。お父さんも知的な雰囲気があり、高級車スカイラインに乗っていました。お母さんもスラっとした気品のあるお嬢さんというイメージがあって、全体的に上品な一家だったと思います。
お父さんは若くして不幸な死を遂げ、その後、頼みにしていたおじいさんも亡くなってしまった。お母さんは結局、山上容疑者と妹の2人を連れて家を出て行ったのですが、その際に『宗教に入りたい』と私に相談してきたことを覚えています。身内の不幸が重なり、深刻な悩みを抱えていたのだと思います」
捜査関係者によると、山上容疑者は「母が宗教団体にのめり込み恨みがあった」「家を破産させられた」と動機を供述しているという。
学生時代から山上容疑者は母親と同居を続けていたようだが、こうした経済的な要因が引き金となり、最近になって現在の奈良市大宮町のマンションで一人暮らしを始めていたようだ。
山上容疑者の知人が語る。
「そしたらオマエがやれや」事件前に起きた“異変”
「3月頃にお母さんとお話した時、寂しそうにされていましたね。『今は一人暮らしになってしまった』とボヤいていました。15年前に引っ越してきてずっと息子さん(山上容疑者)と一緒に住んでいましたが、突然、歳を重ねた後に一人暮らしになったので喪失感を覚えたのだと思います。原因が宗教にあるとは、当時は知りませんでしたが……」
一人になった山上容疑者もまた、孤独を抱えていたのかもしれない。直近の勤務先である京都府の工場責任者が山上容疑者の“異変”について明かす。
「もともとフォークリフトの資格者の求人をしたところ、派遣会社から派遣されてきたのが山上容疑者です。敬語が使えて社会人として良識のある人という印象で、会社で働き始めた当初は遅刻や無断欠席、トラブルなどを起こすタイプではありませんでした。口数は少なく、昼食も自家用車のなかで1人で食べていましたが、仕事には真面目でした。
しかし、約半年後の2021年4月に指示通りの手順で仕事をしなくなり、上司が指導したことがありました。2021年10月にも再び手順を守らなかったため、上司が叱責すると『なんでこんなやり方をしなければいけないのか』と反論。2022年1月には出入り業者のトラックへ荷物を積み込む際、『このやり方でも崩れない』と緩衝材を挟む作業を勝手に省くなどまた指示を無視し、トラック運転手と口論になっています」
山上容疑者は徐々に自己中心的な振る舞いをすることが増えていった。2022年3月には、注意をする同僚に対して「そしたらオマエがやれや」などと反抗的な態度をとったこともあったという。
「2022年4月中旬頃から『体調不良』といって、何日も休むようになりました。その後、ゴールデンウイーク前に『退社したい』という申し入れがあり、有給休暇を消化して5月15日付で退社したのです。
しかし、あんな事件を起こすとは思いませんでした。とにかく今は驚いています」
“普通の学生”だったという山上容疑者は、どのような気持ちで銃を作り、世間を揺るがす日を迎えたのだろうか。真相解明の時が待たれる。
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「文春オンライン」では、今回の事件について、情報を募集しています。下記のメールアドレス、または「文春くん公式ツイッター」のDMまで情報をお寄せ下さい。
メールアドレス:sbdigital@bunshun.co.jp
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