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【芸能】最高視聴率は41.9% 「ザ・ベストテン」が消えた真の理由
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■ランキング番組の「敵」はレコード売り上げの操作
「ザ・ベストテン」などのランキング番組が消えた理由について、まず元民放音楽番組プロデューサーに聞いた。
「理由の1つはランキングづくりが難しくなってしまったから。1980年代後半、レコード(CD)の売り上げを人為的に操作する専門業者が現れた。誰かから依頼を受けると、レコードの売り上げを調べるポイントの小売店で特定のレコードを買い漁った。するとレコードの売り上げデータが不公正なものになってしまい、ランキングづくりの妨げになった」(元民放音楽番組プロデューサー)
レコードの売り上げデータは番組のランキングづくりにとって極めて重要な指針だったのだ。
「ザ・ベストテン」も「歌のトップテン」もレコードの売り上げ、有線放送へのリクエスト、番組自体へのリクエストなどを基に独自のランキングを作成していた。
「ザ・ベストテン」の場合、レコードの売り上げがランキングを決める要素の約6割を占めていた(1986年から放送終了まで)。それなのにレコードの売り上げデータが操作されてしまったら、番組の屋台骨が揺らぎかねない。
元レコード会社幹部も「レコードの売り上げを操作する専門業者は番組にとって極めて厄介な存在になっていた」と振り返る。あのころ、専門業者の出現は音楽業界で広く知れ渡っていた。
ランキング形式の音楽番組の時代が終わった1990年当時、番組終了の理由として「音楽の趣味が多様化」「番組を支えていたアイドルブームの陰り」などが挙げられた。どちらも真実に違いない。
だが、視聴者が納得するランキングづくりが年々難しくなったことも大きかったのである。なにしろランキングは番組の生命線。最大の売り物なのだ。
「今は新曲が毎週発売されるが、当時の発売日は毎月5日と21日が中心。だから専門業者は5日と21日になると、大勢のアルバイトを使い、指示されたレコードの大量買いをしていた」(同・元レコード会社幹部)
なぜ、そこまでしたのか。言うまでもなく「ザ・ベストテン」と「歌のトップテン」に人気と影響力があったから。
「ランキング入りすると、売り上げが確実に大きく伸びた」(同・元レコード会社幹部)
■出演しないアーチストの増加が衰退を招く
特に「ザ・ベストテン」は番組のパワーが衰えていた1989年9月28日放送の最終回ですら世帯視聴率は12.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)
1981年9月17日に記録された最高世帯視聴率は41.9%にも達した。時代が違うとはいえ、昨年大晦日の「NHK紅白歌合戦(2部)」は34.3%だから、怪物番組だった。
別の元レコード会社プロデューサーはディレクター時代に何人ものアイドルを担当した。やはりランキング上位を目指したが、売り上げ増だけが目的ではなかった。
「(担当していたアイドルたちに)悲しい思いをさせたくなかった」(同・元レコード会社プロデューサー)
ランキングに入らなかったり、ライバルに敗れたりすると、アイドルたちは意気消沈したという。打ちひしがれた。担当ディレクターは見たくないはず。ランキング争いは当事者たちには戦いだった。
そんな背景もあったから、1980年代後半にレコードの売り上げを操作する業者が現れたのだろう。
「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」の継続が困難になった理由はまだある。出演しないアーチストがどんどん増えていったためである。
中島みゆき(70)、山下達郎(69)、竹内まりや(67)らいわゆるニューミュージック系や矢沢永吉(72)、BOOWYらロッカーたちは言うに及ばず、1980年代半ばからは松田聖子(60)ら歌謡曲系のビッグネームも欠席するようになる。
「大物アーチストがランキング番組を敬遠した1番の理由はフルコーラスで歌えないから。本来は4、5分の曲が、番組用にアレンジされて、3分前後に縮められてしまう。歌のジャンルを問わず、大物になると、これは耐え難い。作品を不完全な形で世に出すのだから。さらに必ず『生』で出演しなくてはならないという縛りも大物たちには重荷になった」(前出・元レコード会社幹部)
ランキング番組は基本的には10曲紹介される。トークの部分もある。だが、放送時間は正味50分以下。フルコーラスは土台無理なのだ。大物招聘が難しいスタイルの番組だったのである。
■おニャン子クラブが出演しなかった背景
別の理由で出演しないアーチストも現れた。例えば1986年7月から約半年間、アイドルグループ「おニャン子クラブ」が、グループもメンバーも「ザ・ベストテン」には登場しなかった。
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