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「4630万円を持ち逃げする人」は再び現れる…若者が未来を信じられない日本でこれから起こる怖いこと
■ある日突然、4630万円が振り込まれていたら…
不穏な事件が、ここ最近の日本では相次いでいる。
自治体から誤って送金されたコロナ給付金4630万円を24歳の男性が返金せずそのまま持ち去る事件が5月に発生した。男性はオンラインカジノで全て使ったと話しているという。この事件は世間を大きく騒がせ、連日ニュースやワイドショーで報道された。
ある日突然、身に覚えのない4630万円が振り込まれていたら、私であれば恐ろしくなってすぐに振込者に問い合わせて返還してしまうだろうが、しかし彼はそうではなかった。誤って振り込んでしまった役所からの返還請求をあれこれ言い訳をつけて間延びさせ、その間にほぼ全額を引き出してどこかに持ち去ってしまったのである。
「4630万円事件」の興奮が冷めやらぬうちに、今度は東京国税局の職員が同じくコロナ対策の給付金およそ2億円を、複数人のグループと共謀してだまし取ったとされる事件が明らかになった。こちらの事件も、本来ならば不正を見抜くべき側の人間が、徒党を組んで不正を働いていたことで、世間に大きな衝撃を与えた。
■「正論」が説得力を失いつつある
世間では相次いで発生した若者たちによるあまりに「大胆」な犯行について、どよめきの声があがっていた。
「4630万円程度、人生を棒にふるような金額かね?」
「仲間と共謀して2億程度の金をだまし取ったって、どうせ一生は暮らせない」
「まともに働けばもっと稼げるのに」
といった意見もあった。たしかにそのとおりだ。大金を不正に詐取して持ち逃げするその度胸や行動力をもってすれば、実社会でサバイブしていくことはよほど容易いように思える。力の使いどころを間違っているようにしか思えない。
……だが、一見して至極まっとうに見えるこうした「正論」がいま、じわじわと「説得力」を失いつつあるように思う。
ある年代・ある境遇の者からすれば、一瞬で大金をつかみ取りできるようなチャンスやアイデアが――たとえそれがイリーガルなものであろうが――巡ってきたときに、それをみすみす手放すという選択肢を検討しにくくなっている。「今後の人生で自分の口座残高に『¥46,300,000』という数字が表示される日がやってくる可能性がはたしてどれくらいあるか」を考えたとき、その実現可能性にリアリティを感じなくなってしまっているのだ。
コロナ給付金を詐取した者たちは、大金を不正な手段で入手することで代償として失ってしまうものがなんであるかが想像できないほどの愚か者たちだったのか。想像はしたものの、それが自分にとっては「取るに足らないもの」だと判断したうえ実行したのか。
……私には後者に思えた。
■「頑張ればきっと報われる」という物語を若者は信じられない
「ちゃんと生きて、ちゃんと働いていれば、いつかは報われる」――と、大人たちが示す物語を、いまの若い人はあまり信じられなくなっている。
私の周囲でも同じような状況になっている。ろくに仕事をせず燻ぶっている若者が幾人かいて、かれらは往々にして「どうにかして楽に大金が手に入る方法がないか」と“人生一発逆転”的な夢想にふけっている。そんなかれらに対して「ありえそうもない夢を見てないで真面目に汗して働け」と助言したときに「コツコツ働いたところで、なんだというのだ」と言い返される機会が、以前より増えている。
その返答に対して、私は少々言葉に詰まる。
というのも、この国の賃金がバブル崩壊以降ほとんど一貫して低下し続けたことは事実だからだ。1997年から現在に至るまで、時間当たりの賃金の伸び率がマイナスになっているのはOECD加盟国のなかでも日本だけだ。このような状況で「真面目に働いていればいいことがあるよ」と若い世代に伝えても「うそをつくな」と思われても無理はないのかもしれない。実際によくなっていないのだから。
「今日よりも明日がきっとよくなる」という楽観的なナラティブに真実味を持てなくなってしまった社会こそが、「目の前に落ちてきた(違法行為であるため人生を棒に振るリスクが含まれた)一攫千金のチャンス」と「これから40年ぐらい働けば得られるかもしれないそれ以上のお金」を天秤にかけたとき、前者に傾く者を生み出してしまったのかもしれない。
■「よい時代」を経験した世代とは、世の中の見え方が違う
「4630万円事件」の舞台となった町の人びとのインタビューをネットで見た。地方の小さな町であるためか、画面に映るほとんどの人は高齢者だ。「よくもまあそんなことできるねと……」「常識じゃ考えられない!」「理解できないです!」と町民たちは困惑や憤りをあらわにしていた。もっともだ。だが、持ち逃げを決めた彼と、インタビューで彼を非難する町の人びとは、おそらく「世の中に対する基本的な信頼感」が根本から違うのだろう。
かつてこの国にあった「よい時代」を経験し、時代の幸運に便乗して一定の資産やポジションを築き終えている者と、そのような時代がすでに終わった後に生まれ、凋落を続け希望の持てない社会で食いつなぐ者とでは、世の中の「見え方」がまったく違う。
この社会で説かれる「常識」や「モラル」は、後者の人びとにとって「いい時代をたまたま過ごした人たちが、これからも穏やかな余生を過ごせるように協力しろ」と言われているような気分にもなってしまうのだ。「なぜそんなことに、自分がいちいち従わなければならないのか?」――と考える人が現れたとしても不思議ではない。
国際情勢やパンデミックの影響で社会的悪状況が加速していくなかで、こうした人は増えていく。近いうちに、また現れるのではないか。
■「まともに働いた方がトータルでお得」とは思えない人がいる
いま、この国では「4630万円が振り込まれたのが自分でなくてよかった(もし自分だったとしたら、正気を保っていられる自信はなかったから)」と考えている人がすでに一定数いる。
もちろん、世の大半の人は依然としてそうは考えない。「まともに働いた方がトータルでお得だ」と考える。それが正論だ。だが多くの人から見えない場所では、先の見えない人生に閉塞感を抱えている人がいる。年収300万円や400万円台が「高給取り」とみなされ、年収200万円台がもはや“当たり前”になってしまった時代においては、ある日突然自分の口座に表示された8ケタの数字が「一生かかっても手にできない大金」のように思えることもある。そのようなシチュエーションでも、損得の天秤が正常なまま機能してくれる保証はない。
統計上、凶悪犯罪が猛烈な勢いで駆逐されているこの国では、犯罪の増加やあるいは暴動などは起きないだろう。しかしながらその一方で、いままで世の中の人びとがなんとなく同意して内面化してきた社会の常道(コモンセンス)に恭順せず、その「裏」をかくようなことをする人は増えていくはずだ。4630万円をあれこれ理由をつけて持ち逃げしたり、税の専門家としての知識を悪用して組織ぐるみの詐欺事件を企てたりといった事件は、これから頻発してくるのではないだろうか。実際、強盗や殺人といった凶悪犯罪の件数は急激な減少傾向だが、特殊詐欺については依然として高い水準を維持している。
■この社会が「静かなモラルハザード」を起こしつつある
「コツコツやっていればいいことがある」という、これまで多くの人からとくに疑問視されず当たり前に支持されてきた物語がいま、ひどく動揺している。
「自分がどうやっても報われることのないゲームのルールをなぜ守らなければならないのか?」「みんなが守っているルールを違反した非難を受けて、それがいったいなんの問題があるのか?」――そうした考えをもとに、これまで信じられてきた物語から訣別・逸脱していく人は、これからさらに登場していくことになる。
「たしかにやれなくはないけど……でも自分の人生とか、世間の目とか、社会常識があるからやらないよね」という社会的合意、あるいは「ためらい」の一線とでもいうべきラインを軽々と踏み越えてみせる者が5月と6月には相次いで登場した。これは象徴的な出来事だ。この社会が基本的な信頼感と希望を失い、いうなれば「静かなモラルハザード」を起こしつつあることを示唆している――自分にはそのように思えた。
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文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。
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