【考古学】これぞサイエンス? 邪馬台国の場所は「日食」で特定できるか

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【考古学】これぞサイエンス? 邪馬台国の場所は「日食」で特定できるか

1: ごまカンパチ ★ 2022/06/16(木) 01:37:18.63 ID:siOigS1D9
邪馬台国はどこにあったのか? 古代史最大の謎といわれるこの難問に、意外な分野から斬り込んだ研究者がいました。
日本史のさまざまな謎を当時の天文現象をもとに解明する「古天文学」を標榜した斎藤国治氏です。はたして彼が導いた結論とは?
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■神話や伝説は事実を暗示する!?
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昭和初期まではミャンマーが世界で唯一の翡翠の産地と考えられていました。
しかし神話の世界に目を向けてみると、大きなヒントが隠れていました。
日本神話では、「越の国」(北陸地方一帯)を治めていた「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」という神がいたとされています。
(略)
そして奴奈川姫は、このあたり一帯を支配する、翡翠の加工をしていた一族の首長であったとも記されているのです。
(略)
この神話を知った糸魚川出身の詩人・歌人の相馬御風(そうま・ぎょふう)は、1938年、「越の国の翡翠はきっとこの山奥(糸魚川)のどこかにある」と思い立ち、
友人知人の協力を得て、糸魚川流域で翡翠探しを開始しました。そしてついに、小滝川にそそぐ土倉沢の滝壺で美しい緑色の石が発見され、
東北大学理学部岩石鉱物鉱床学教室で鑑定したところ、翡翠であることが判明したのです。
これらから、神話や伝説はまったくの架空の話ではなく、事実を暗示したものであり、したがって歴史の一部ともいえるものであることがうかがえます。
筆者は、神話は決して非科学的なものではなく、歴史解明に非常に重要であると考えています。

■天照大御神は卑弥呼がモデルか?
邪馬台国についても、卑弥呼をモデルとする神が神話の中に登場しているという指摘は、古くからなされています。
その神とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
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たとえば東洋史学者の白鳥庫吉(しらとり・くらきち、東京帝国大学教授)は
1910(明治43)年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」において、卑弥呼と天照大御神は酷似している、とまで述べています。

■「天岩戸隠れ」は日食か
ところで天照大御神といえば、『古事記』や『日本書紀』に記されている有名な神話に「天の岩戸隠れ」があります。
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この神話が、卑弥呼の死没をモチーフにしているとする解釈があります。そのときに皆既日食が起こったのではないかというのです。
そして、卑弥呼の後継者である台与(とよ。『魏志倭人伝』の「壱与」とされています)が擁立されたことを、天の岩戸が明けたときと捉えるのです。
これは決して荒唐無稽な思いつきではありません。卑弥呼の時代にいつ皆既日食が生じたかは実際に調べることができ、
247年3月24日と、翌248年の9月5日にあったことがわかります。
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■皆既日食がどう見えたかを手がかりに
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現代のサイエンスを駆使して、こうした皆既日食が卑弥呼の時代に、どこでどのように見えたかがわかれば、
邪馬台国がどこにあったかがわかるのではないかという期待がもてます。

天文学者の斉藤国治(旧東京天文台教授)は、1975年に東京天文台を定年で退官したあと、古い天文現象を現代の天文学によって解析する
「古天文学」を提唱し、邪馬台国の位置についても、247年の卑弥呼が没したときと考えられる日食を分析することで、
近畿説と九州説を比較した次のような研究を発表しています。

247年3月24日に日食が起こった時刻は、北九州では日の入りの頃でした。
太陽は日没までにほぼ皆既日食となって真っ暗になり、そのまま日が没したと考えられます。
一方、九州より東に位置する近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
日没後も真っ暗にはならず、徐々に暗くなってゆきます。
この見え方の違いから、皆既日食によって世界が真っ暗になるという恐怖を体験したのは九州の人たちであると斉藤は結論し、
著書『宇宙からのメッセージ―歴史のなかの天文こぼれ話―』(雄山閣、1995年)に次のように記しています。

247年に福岡市で見えた日の入り時の皆既日食を岩戸日食と断定すれば、議論は明快に片付く。
そして卑弥呼の死亡年は247年となり、邪馬台国も九州と言うのが有力となる」

(略)

ヤフーニュース(現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/48367f6544d6e250cf62038cec7246bd8adbc2ec


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