あわせて読みたい
【林業】「木が全然売れへん」「売らんほうがマシ」田舎暮らしに憧れる学生が見た林業の残酷すぎる現実
文春オンライン 6/12
https://bunshun.jp/articles/-/54953
「森のつくり方」を学ぶために京都大学へ
1997年4月、一浪の末に京都大学農学部生産環境科学科森林科学専攻になんとか合格できて、いよいよ京都での生活が始まった。
いざ入学すると、私の志望していた森林科学専攻には森林関係だけでも10以上の研究室があった。森林生態学研究室、熱帯林環境学研究室、森林水文学研究室、森林情報学研究室、木材利用学研究室……。細胞やDNAレベルの基礎的な研究から、マクロの生態学や最先端の素材に関するものまで、その内容は多岐にわたっていた。
どの授業も興味深いものではあったが、学術的に専門領域を究めようとする色合いが濃くて、熱帯雨林を再生したいという私の思いとはかけ離れた内容だった。
(略)
「売らんほうがマシや」
だが、そんな充実した山での日々も長くは続かなかった。
雲ケ畑を含む北山林業地の特産でもあった床柱の需要が、日本の住宅の洋風化によって急激に落ち込んでいったのだ。さらには、輸入材が大量に流通するようになったことで、木材の価格自体も低迷していた。マーケットの構造的な変化についていけず、私が通っていた6年の間に、雲ケ畑の基幹産業である林業は目に見えるほどのスピードで衰退し続けた。
「ここ数週間、仕事がないわ」「木が全然売れへん」「こんな材価やったら、売らんほうがマシや。元が取れへん」……。
私たちに仕事を教えてくれる山のおっちゃんたちがため息を漏らす日が増え、何人もが別の仕事を求めて町におりていくようになった。
京都市内の主な林業地ごとにあった森林組合も、効率化という名目で合併され、雲ケ畑森林組合も京都市森林組合雲ケ畑支所へと縮小されることになった。それまでは、雲ケ畑森林組合の倉庫や会議室などを山仕事サークルで自由に使わせてもらっていたが、それも難しくなってきた。
林業の衰退とともに、集落の景色にも変化が起こり始めた。
ある日、突然、鴨川源流の川沿いで工事が始まったかと思うと、そこが高い塀に囲まれた産業廃棄物置き場になってしまったのだ。
入口にはドーベルマンが繋がれていて、前を通るたびに威嚇してくる。以前は、清流のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら仲間と自転車で走っていた雲ケ畑街道でも、産業廃棄物を山盛り積んだトラックとすれ違うことが多くなっていった。
木材が売れなくなり、いよいよ山を売る人が出てきたのだ。
林業が急激に衰退するなか、集落に暮らす人たちの意識が少しずつ変化していくのをなんとなく感じてはいたものの、どこかで見て見ぬふりをしていたところがあった。愛着を持って育ててきた山を手放さざるを得なかった集落の人々のやりきれない思いも痛いほどわかったが、それでも私は「ふるさと」だと思っていた美しい集落が変わってしまうことに衝撃を受け、その事実を受けとめられずにいた。だが、もう直視せざるを得ない現実として迫ってきていた。
(以下略)
嶋田 俊平/ノンフィクション出版
ウッドショックあるのに日本の木は売れないの?
杉は売れるやろ
大工が全然木が入ってこないって言ってたぞ
いつの話だよ
木材価格はウッドショックで高止まりしてるぞ
これ1997年の話じゃねぇか
今めっちゃ売れてて忙しそうだぞ
木が売れないのは半世紀前からだぞ、今更だよw
山里で立派な屋敷が有るのは、元山持ち…資産家の家だよ、昔は山持ちは里の住民を山林労働者として君臨してたんだ
無茶苦茶儲かってたんだよ、証拠は寺や神社、里の戸数の割に立派すぎる古いお寺や神社が有るのは、この金で建てたからだよ
ソレが高度成長期に輸入木材が入りだして、半世紀ほど前からパッタリ売れなくなった
3Kを嫌った山林労働者も逃げ出したりして、山持ちの豪邸だけが遺っている