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中川家、今とは大違いの『M-1』第1回を語る!「番組終わってすぐダメ出し」「放送後、2日休みでぐっすり寝れた」
(出典:SmartFLASH) |
入学願書に勝手に弟である礼二の名前を書き、入学させた。 NSC時代はコンビ名を「中川兄弟」としていたが、先輩に「千原兄弟」がいたため「中川家」に改名した。 コンビを組んで漫才を始めるにあたり、礼二は母親から「あんたは芸人に向いてるけど、剛はなぁ…。あの子、いっこもしゃべりあかんやん。」と、剛に対して
47キロバイト (6,291 語) – 2022年6月2日 (木) 04:13
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6/4(土) 12:37配信
デイリースポーツ
お笑いコンビ・中川家が1日にテレビ東京系で放送された「あちこちオードリー」に出演し、2001年の第1回「M-1グランプリ」で優勝した直後にダメ出しをされていたことを明かした。
M-1について、MCのオードリー・若林正恭は「冷凍室でやってるみたい」と現在とは比べものにならないくらいの緊張感の中で行われていたと説明。中川家・剛も「全然笑わへんねん、審査員」とピリピリしていた空気感を振り返った。若林は「全員怖かった。アウトレイジでしたよね」と表現した。
剛は優勝後の雰囲気についても「今はみんな、審査員もみんな『おめでとう』やけど、ぼくらの時は終わった瞬間に松本(人志)さん、(島田)紳助さんも来て、『2本目の途中、なんやあれ、失敗したんか』みたいな」とダメ出しがあったと告白。若林は「聞いたことない」と初めて知る裏話に衝撃を受けた。
中川家・礼二も「『あのくだり、もう一発行かなあかんやろ』みたいな」とダメ出しの雰囲気を再現。さらに優勝して楽屋に帰っても「誰もおらんかった」と祝福ムードすらなかったと明かした。
最近ではM-1に優勝すれば、直後からマネジャーの電話が鳴りっぱなしになり、急にスケジュールが埋まるのが定番となっている。若林が、優勝直後について尋ねると、剛は「次の日、普通に休んだ」。礼二も「2日くらい休みやったね」と通常と変わらなかったことを説明した。あまりの扱いの違いに、オードリーの2人もあぜんとしていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/72999743d1d0b7c8ddafb3b77e21dc3339f1cb5e