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【韓国メディア】 孫興民が山東出身という中国の「××根性」…歪曲、中華思想でサッカーの劣等感を変えて
・孫興民の根は山東、こじつけ中言論
・歪曲、中華思想でサッカーの劣等感を変質させて
・サッカースターの大半が北方系民族、偶然ではない
ソン・フンミンがプレミアリーグ得点王になると、中国メディアがそのルーツに触れた。中国の中華思想は、自己満足で強引な自己陶酔のレベルだが、今回はもっと進んだ。中国の某新聞社が、「孫興民の先祖は、山東人」という特集記事を書いた。孫興民の家系は密陽孫氏で、その根は中国山東地方の煙台だという主張だ。
密陽孫氏は、遡れば新羅時代の慶州孫氏と同じルーツだ。今も孫氏は全て慶州孫氏という同質性を持っている。辰韓の多くの部族が徐羅伐(ソラボル、[※新羅の初めの国号])で国家形成を主導した六部族の話を記憶する人々は、慶州孫氏が新羅六部の一系統だという事実を知っている。まさに、その孫氏の先祖が中国だというこじつけだ。安東側に根付いたある部族が、中国宋国から渡ってきていて、彼らが孫氏の姓を持ったという推定を根拠にした中国の主張は、慶州孫氏とは異なる部族の話だ。ほぼ全ての孫氏は古朝鮮滅亡後、韓半島東南側に南下して定着した。いわゆる北方系の強骨だ。その根が強靭で冒険心が強くて、新羅が部族国家の体制を作る頃には、徐羅伐(ソラボル)を中心に大きな勢力を持つ集団姓氏になった。その威勢で、朴赫居世(パクヒョクコセ)が斯盧(サロ)国の王になる時、孫氏の族長格である茂山大樹村長の倶礼馬(クレマ)が、徐羅伐(ソラボル)六部のうちの一分派として位置づけられた。徐羅伐(ソラボル)の誕生を主導した六部族の主役は、慶州李氏と鄭氏、崔氏、孫氏、裵氏、薛氏などだ。彼らが慶州金剛山に集まって和白会議(※族長会議のこと)の原型を通じて作った国が新羅だ。普門団地に入る陜川北路の左側に厚めに見える山が金剛山だ。
古朝鮮の後裔である孫氏一族のルーツはどこだろうか。北方系である古朝鮮流民たちが韓半島に大挙流入した時期は、概ね古朝鮮繁盛期前後と推定されるが、集団移住は政治勢力の交替と関連があったと見る。結局、孫氏をはじめとする北方系姓氏の徐羅伐(ソラボル)定着は、政治・文化史的な移住と伝播の流れと、その軌を同じにするという推論が可能だ。まさに、北方系の本格的な登場だ。それなら、北方系はどこからどのルートから韓半島に集まり始めたのだろうか。蔚山(ウルサン)達川(タルチョン)で頂点に達したアイアンロードや慶州王陵で発見された鉄製宝剣、遊牧民族の遺伝因子としてきらめく金製装飾物が、その道を案内する証票だ。
驚くべきことに、世界サッカーをほしいままにするスターの大半は北方系だ。彼らの先祖は匈奴から始まったウイグルやスラブ、そして彼らと血を混ぜたアフリカ系が主流を成している。欧州チャンピオンリーグ決勝で対決したサラーとベンゼマから、不惑の年にもかかわらず世界サッカー史を書き直すスウェーデン出身のズラタンまで、皆が北方系の子孫だ。選手1人1人の系図をすべて取り上げることはできないが、彼らは皆、強靭な北方系の遺伝因子が入り混じった優越な運動神経を装着した選手であるのは明白だ。そのルーツをさかのぼれば、トルクとウイグルという名の剛健な民族と出会う。私たちが知っている匈奴の後裔たちだ。
匈奴は欧州でフン(Hun)族と呼ばれて、フン族とトルク族のそのルーツを北方系とする共通点を持っている。ウラルアルタイに根拠を置いた匈奴が、農耕と遊牧生活を並行して黒海を経てハンガリーを通過して、西欧まで移住したのが北方人類の西側征服記だ。彼らは東から来ていて、特に馬乗りに長けていて、弓術にずば抜けた才があった。まさに、東夷族の話と似ている。クッポンのような話なので、手をこまねく人もいるだろうが、全く根拠のない話ではない。オリンピックやW杯など国際的な運動競技が開かれれば、人種の系統と人類のルーツは自然に注目を集めている。重要なのは、優れた運動選手の大半が北方系の子孫だという点だ。
(つづく)
蔚山毎日(韓国語)
http://www.iusm.co.kr/news/articleView.html?idxno=948017