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早大野球部が絶不調、ロッテ「悪夢の18連敗」の教訓よぎる小宮山監督
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● 調子が上がらない小宮山・早稲田 東大とも2戦連続の引き分け
新緑まぶしいゴールデンウイークだというのに、春の風はやけに冷たかった。
開幕、法政に連敗を喫した早稲田大野球部。「あと8戦、全部勝つ」との意気込みで臨んだ明治戦でも勝ち点を落とした。1勝1敗で迎えた月曜決戦は2‐3で敗戦。5季ぶりとなる3回戦に足を運んだ早稲田ファンからは、マスク越しにため息が漏れるような試合だった。
そして迎えた東大戦でも調子が上がらない。
2‐2、6‐6と2試合続けての引き分け。3回戦で4‐0と勝利したものの、2勝で勝ち点獲得となるため、異例の4回戦が組まれる。だが火曜日は神宮球場に催し物が入っていて使用できず、翌週に持ち越しが決まった。
「ほうぼうに迷惑をかける」
小宮山悟監督は渋い顔をした。ちなみに東大が2試合連続で引き分けたのは史上初めてのことだった。
小宮山にとって、監督就任以来の厳しいスタートとなった。
「5点取らなければ勝てない」という認識はチームに浸透している。それでも打ちあぐねている。
「積極的にスイングしているけど、結果的にファールになるようではいけない。打てそうな球と見て、なんとなく手を出している。そんなバッターの姿勢は、相手投手を楽にさせてしまう」
小宮山はそう分析する。「自分こそが打たなければ」と焦り、「打ちたい病」にかかっている選手もいるという。そんな打者の力みを、相手バッテリーに読まれてしまう場面もあったのかもしれない。
● 小宮山監督の脳裏によぎる ロッテ時代の「悪夢の18連敗」
スポーツの場面では、何をやっても裏目に出ることはある。野球の試合ならば、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの18連敗を思い出してしまう。当時、小宮山悟はまさにその渦中にいた。
1998年6月から7月にかけて、マリーンズは26日間勝てなかった。今でも連敗の日本記録だ。当時、小宮山は32歳。ローテーションの一角を担う大黒柱であり、精神面でもチームリーダーであった。
最初の1敗は小宮山が喫した。6月13日、千葉マリンでのオリックス戦、4‐6。これが悪夢の端緒だった。
連敗中は何もかもがかみ合わなかった――。そう小宮山は振り返る。先発投手が好投すれば大事な場面でエラーが出る。打線が奮起すれば投手陣が打ちこまれる。苦肉の策として先発投手をリリーフに回してもうまくいかない。逆転負けも多かった。
ファンや関係者からは憐憫(れんびん)の混じった励ましを受け、「勝たなきゃ」と、身体のどこかに余計な力が入ってしまう。そして焦り、自分が何とかしようとして墓穴を掘る。このとき、小宮山はこう痛感したという。
「普通のことを普通にやることが、いかに難しいか」
この「悪夢の18連敗」から小宮山は学んだ。
「できもしないことを、やろうとしてはいけない」
やれるべきことをやる。そのことだけに集中する。
連敗中はベンチの雰囲気もぎくしゃくしていたので、小宮山は夕食会を催して士気を高めようとした。しかしそこはプロの集団である。いかに負けが込んでも自信をなくして萎縮するようなことはなかった。惜しい試合も多く、力負けという実感がチームにない。「勝たなきゃ」という力みと同時に「明日は勝てるだろう」という楽観すら漂っていた。ここにこそ問題があったと小宮山は振り返る。
「危機感が欠如していた」
(中略)
5月10日の東大との4回戦は5‐1と快勝。「厳しい戦いから得るものがあって、練習からしっかりとした形になった」と監督。今季初の勝ち点である。