【元駐日韓国大使】 「日本で見た韓国の痕跡」高麗神社、日本王室…古代は私たちが先進国、多くのことを伝えてあげた事実

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【元駐日韓国大使】 「日本で見た韓国の痕跡」高麗神社、日本王室…古代は私たちが先進国、多くのことを伝えてあげた事実

1: LingLing ★ 2022/05/20(金) 22:52:56.42 ID:CAP_USER
日本で見た「韓国の痕跡」
ユ・フンス韓日親善協会中央会長

日本の東京から北の方にある秩父というところに汽車に乗って行くみると、私たちのコリョ(高麗)という名前を持つコマ駅が出てくる。とても不思議でその駅で降りてその地域を見回すと、一帯が高麗の場だ。高麗山、高麗川、高麗小学校、そして高麗神社などを訪れた。

高麗と書いて日本語では「コマ」と読む。高麗神社は、やはり私たちの韓半島と深い関連がある神社だった。高麗ではなく高句麗と関連があった。

この神社は、1200年前に高句麗から来た若光という人の肖像を祀っている一種の祠堂だ。59代後孫という宮司コマトシオの説明によると、西暦666年に使臣として来た若光が668年に高句麗が滅亡すると、帰ることができず、日本に残ったという。

その後、日本の朝廷ではこの一帯の7国(昔、日本では地方単位を国と称した)に散在していた高句麗人1800人ほどを集めて高麗郡を設置して、若光を以ってこの地域を治めたという。高麗郡は数十年前に日高市に統合されたが、今も所々高麗という名前がそのまま残っているのだ。

1200年ほど前に、こうして多くの高句麗人が暮らしていたということは、古代から韓日間の交流が、いかに多かったのかを雄弁している。高句麗だけでなく、京都広隆寺にある日本の国宝第1号である木彫半跏思惟像は新羅から伝来したというのが通説であり、百済の痕跡は日本では限りなく多い。

その上、駐日大使をする頃、平成日王は私たち夫婦と茶を一杯飲む席で突然、「私の血には百済の血が流れている」と言うではないか! 自身の直系の桓武王の生母が百済の王女だということだ。

日本王室までこの通りだから、日本の韓国の痕跡は言うまでもない。

壬辰倭乱の時に連れられて来た陶工の沈寿官と李参平まで、遡lっていく必要もない。沈寿官は陶工として15代を引き継いで、李参平は日本有田陶磁器の元祖として佐賀県は彼の祠堂まで建て、今でも称えている。まさに今、日本の大金持ちである孫正義や、現職参議院議員の白真勲のような方は、間違いなく祖先まで韓国の人だった。

例を挙げることはしないが、日本語も韓国語に由来するものが多すぎる。古代には私たちが先進国だったために、漢文や仏教はもちろん、その他にも多くのことを伝えてあげたのは厳然たる事実だ。日本初の文化とも言える飛鳥文化は完全に百済文化の影響だ。隠された真実、見つけられなかった歴史が両国の間にどれほど多いのだろうか。すべてのことが明らかになりさえすれば、ひょっとしたら思いもよらぬ秘密が両国の間に置かれているのかもしれない。

韓国経済(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/015/0004701295


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