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具志堅用高、“人生初CM”でまさかの大失態!? 「伝説の一発目」と爆笑
今年で本土復帰50周年という大きな節目を迎えた沖縄県。13日、東京・丸の内で「沖縄復帰50年HAPPY OKINAWA FESTA 2022」が開催され、同県出身の元プロボクサーでタレントの具志堅用高が出席し、1972年当時を回顧した。
■無理やり写真を加工して…
現在66歳の具志堅。沖縄返還時は高校2年生の時で「あの頃はインターハイ沖縄予選の時期。そこで優勝して東京に出ることになった。当日は練習していたよ」と振り返る。
返還まではアメリカの統治下だったため、「東京行くためにもパスポートが必要。写真がなくて、(ボクシング用に撮ってあった)ファイティングポーズ写真の顔だけを切り出し、貼って提出。返還が決まってパスポート無しで東京に行けると聞いて嬉しかったね」と笑顔を見せた。
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■東京まではまさかの船
しかし移動は飛行機でなくまさかのフェリー。「東京・晴海まで2泊3日で移動。先輩は(疲れから)『こんなんじゃ試合できない』と嘆いていた。そのあと夜行列車で山形まで行って…。本当に移動も大変な時代でしたね」と具志堅。
それまではドル紙幣が通貨だったため「初めて千円札見た時はでっかい札だなぁと思ったなぁ。わざわざ両替して東京行ったからね」と当時のエピソードを次々語っていく。
■「スーパー具志堅伝説」
返還まではアメリカと同じく車は右側通行。日本のスタンダードである左側通行になったのは返還から6年後の78年のことである。
突然の交通ルール変更に当時は交通トラブルが多発したというが、その注意喚起CMに起用されたのが具志堅だった。
「ちょうど防衛戦の直前で、ロードワークしている時にジャージ姿のまま収録することになった。『人は右、車は左!』ってセリフを言ってパンチを左右で出して。それが人生初めてのCM」と満足気に話を始めたが、MCであるお笑いコンビ・キャンキャンのゆっきーは「あのCMはスーパー具志堅伝説のまさに一発目。セリフと手の動きが逆なんですよ(笑)」とツッコミ。会場からは爆笑の声が上がり、それを聞いた具志堅は照れ笑いを浮かべていた。
■当時は偏見も
本土復帰したものの、東京においてはまだまだ沖縄に対し偏見の目が多かったとも吐露。
「沖縄人だからか、アパートも簡単に借りれなかったね。バイト先だったとんかつ店の寮にどうにか同僚と住むことができて。世界チャンピオンになってもそこに住んでバイトを続けていた。チャンピオンになって以降、店の人たちがすごく喜んでくれて、その後も寮を出るに出れなかった(笑)」と苦労続けたサクセスストーリーを明かす。
具志堅がボクシング王者として一躍脚光を浴びて以降、沖縄への見方が一気に転換。本土に出てきた沖縄の人たちへの風当たりが変わった。
イベントには沖縄出身である松田るか、西銘駿、元SPEED・島袋寛子、MAXのNANA、MINA、LINA、REINAも出席しており、一同「沖縄のイメージを変えてくれた大スター」と称賛していた。
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