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ついた現メンバー3人と南部寅太(現:南部虎弾)で参加する事になった。それが成功した事でそのメンバーでの活動が増え、改めて4人で「ダチョウ倶楽部」(諸事情によりキムチ俱楽部から改称)を結成した。初代リーダーは南部だったが、1987年に彼が脱退して電撃ネットワークを結成したため3人編成となる。
42キロバイト (5,933 語) – 2022年5月11日 (水) 10:01
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2022年05月11日
お笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の上島竜兵さんが急逝した。61歳という早すぎる死だ。
リアクション芸というものを世に広めた第一人者ともいえる上島さん。おでん芸や熱湯風呂など昔ながらの鉄板ネタもありつつ、ここ数年ではケンカ芸からのキスなど守りに入ることなく次々と生み出すネタは、どれも世間に受け入れられていたように感じる。
完成されたダチョウ倶楽部3人の芸は、テレビのバラエティ番組だけでなくさまざまな場所で需要があった。
中略
上島さんが最後にイベントに登場したのは4月25日のこと。そこでリーダーの肥後克広は、
「ダチョウ倶楽部の芸は密なんです。離れてやるでしょ? 全然面白くないんです」
と赤裸々に話すと、上島さんも
「ケンカしてもキスができないし、熱湯風呂での“押すなよ”も近づけないので、さすまたで押されたこともあった。商売あがったりだよ!」
と嘆いていた。そしてこの日はアクリル板ごしに寺門ジモンとキスのネタを披露していた。
「“ネタが思うようにできない”と冗談っぽく言ってはいましたが、ところどころで見せる表情を見ると、もしかして芸人として本当に悩んでいるのかなと感じました」(スポーツ紙記者)
さらにコロナ禍で大好きなお酒を飲みに行けないこともあり、悩みを語っていた。
「リモート飲み会をやったんですけど、だんだん後輩も面倒くさいって嫌がっちゃって。初めて結婚して良かった、嫁がいて良かったなって思いました。文句を聞きながら一緒に飲んでくれるので」
上島さんが師匠と慕った志村けんさんはコロナに感染し他界した。日本のバラエティ界に大きな功績を残した二人の早すぎる死。あまりに悲しすぎるではないかーー。