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えっ!「お台場」がロボット達に支配されてキタ?!
ゆりかめもに乗ってレインボーブリッジを渡り、お台場にやってきた。
いつもならばお台場に何があるのかと歩き回ることになるのだが、今回は歩かなくても知っている。
お台場にあるのは、フジテレビとデックス東京ビーチとダイバーシティで、あとは自由の女神とガンダムがいる。
そんなお台場になぜやってきたのかというと、ロボットがいるんです、という編集氏からの誘いがあったからだ。なんでも、日本科学未来館で「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」という特別展をやっているらしい。そしてそこに行けばいろんなロボットに会えるのだという。
つまりはロボット展ということなのだが、だいたいロボット展というと最新鋭の人型ロボットがいくつか“アイキャッチ”のごとく展示されていて、あとは一般人にはあまり馴染みのない産業用ロボットが並んでいるようなものではないのか。
そう思ったが、今回のロボット展は人間とロボットとの関わりが大きなテーマになっているらしい。さらに、国内の展覧会史上最大規模の約90種130点ものロボットが集結しているのだとか。となれば、ちょっとおもしろいのではなかろうか。というわけで、お台場までやってきたのである。
そもそも「ロボットって、なんだ?」
日本科学未来館で出迎えてくれたのは、「きみとロボット」展を担当している科学コミュニケーターの宮田龍さん。宮田さんに「きみとロボット」展を案内してもらった。
会場に入って最初に待ち受けている展示ゾーンのテーマは「ロボットって、なんだ?」。壁には宮田さんの汗と涙の結晶だというロボットヒストリーが描かれている。ちなみに、ロボットという言葉はチェコの作家であるカレル・チャペックが1920年に生み出した造語なのだとか。
「ただ、ロボットという言葉が生まれる以前から、からくり人形のように人びとに親しまれてきたものはありました。言葉はなかったですが、ロボットの一種といってもいいかもしれません」(宮田さん)
中央にはいくつものロボットが並んでいる。ひときわ目を引く黄色いロボットは、HRP-1という人型ロボット。1997年に開発されたもので、動く人型ロボットの実現を目指したプロジェクトの第1号機だという。が、あいにく筆者はロボットに疎いもので、初めてお会いしました……。
そこで周囲に目を向けてみると、懐かしのAIBO、懐かしのASIMO、ここ数年見かける機会の多かったPepperくんなど、よく“見知った”ロボットがズラリと並んでいる。
90年代から00年代にかけては、いわゆる“産業用ロボット”はすでに実用化が進んでいた中で、特に人型ロボットの開発が積極的に進んだ時代ということなのだろうか。確かに人型ロボットには夢があるけれど、かといって社会に必要なのかどうかというと微妙な気がする。戦って地球を守ってくれるわけでもないし……。
「“技術としてすごいロボット”も、“見た目が人そっくりのロボット”も、どちらも必要なんです。人型ロボットにしても、人のようにスムーズに動くよ、ということばかりが注目されがちなんですが、それが人の社会に受け入れられるような見た目をしているかどうかも大事になってくるんです」(宮田さん)
そしてこういったロボットの発展には、まさしくフィクションの世界であるところのSF作品も大いに関係しているのだとか。鉄腕アトムやドラえもんはフィクションの世界から生まれたスーパーロボット。そしてそういったフィクションからインスピレーションを得て開発されたロボットも少なくないのだ。壁面の“ロボットの歴史”を眺めていると、そういったロボットと人との関わりも学ぶことができる。
楽器になる義手、脳波を読み取って動く腕、“人型の重機”…「いま、そこにあるロボットとの生活」
次なる展示ゾーンのテーマは「からだって、なんだ?」。見たことのある懐かしのロボットたちと触れあったと思ったら、急に哲学的になってきた。展示されているロボットは、体に装着するロボットが目立つ。
「最近では脳波を読み取る技術も進歩しているので、脳波だけでデバイスを操作することもできるようになっています。
また、たとえば人間の体をロボットで再現することで、人間の体のよりよい動かし方を追求するプロジェクトも進んでいます。手を2本増やしたり、義手と楽器を融合させたり、人の体を拡張するイメージですね」(宮田さん)
義手と楽器を融合させた「ミュージアーム」は、見た目もそのままに楽器を取り付けた義手。日常的に義手を使っている人にとっては、義手はいわば自分の体の一部だ。それが楽器になるわけで、体の一部に楽器を組み込んだに等しい。
これをロボットと呼ぶのかどうかは人によって意見が分かれそうな気もするが、活用次第でロボットは人の体の“常識”を打ち破ることもある、というわけだ。そうなると、人の体はどこまでが人の体なのか、という哲学的なテーマに直面せざるを得ない、ということなのだ。
また、操縦者の手の力加減をロボットが再現してくれる「零式人機」は、高所や高圧線の近くでの作業の多い鉄道インフラの保守現場での活躍が期待されるとか。
「操縦者の思い通りにロボットが動いてくれるので、直感的に操作できるのが大きなメリット。産業用ロボットではどうしても操縦が難しいというイメージがありますが、『零式人機』ならば誰でもすぐに操縦を覚えることができます。これもまた、体の拡張の一種と言っていいと思います」(宮田さん)
“やきもちをやくロボ”、”ゴミの前まで行って震えているだけの“強くない”ロボ…
人の体とロボットの関係を見つめたら、次のゾーンでは「こころって、なんだ?」。さらに深い問いを投げかけてくる。これはまた難しそうな……と思ったら、このゾーンには子どもたちが二重三重にロボットを取り囲んで和気藹々。なんだか楽しそうな雰囲気だ。
子どもたちの輪の中を見てみると、そこにいるのは家庭用ロボットとして知名度が高まっているLOVOTだ。人の心に寄り添うペットタイプのロボットで、“やきもちをやく”という人間的な側面を持っているのも特徴のひとつ。接する人との関係を築いていく中で、唯一無二の個性を持った存在になっていくのだ。それはもう、ロボットなのかイヌやネコのようなペットなのか、もはや境目は曖昧だ。
「ロボットというと人間ができないようなことをしてくれる存在だと思われていますが、最近ではあえて“強くない”ロボットを開発する研究も進んでいます。ゴミ箱の形をしていて動くことはできるが自分でゴミを拾うことはできず、『モコ』と声を発して人がゴミを拾ってくれるのを待つだけ、とか。人とロボットの接し方を考えていくきっかけになるのではないかと思っています」(宮田さん)
ロボットが暮らしの中に入っていくためには、受け入れられやすさが大事になってくる。そのために見た目のかわいさを追求したり、触ったときの質感に工夫をこらしたり、さまざまなアプローチが試みられているという。そのひとつが、あえて“強くない”ロボットにするというものなのだ。
そして人の暮らしの中に入ってくるロボットにとっては、“会話”もひとつのポイントだ。そんな中で、「こころって、なんだ?」ゾーンの締めくくりで現れるのが、とてつもなくリアルな、というか人そのものとしか思えない造形をしている「ジェミノイドHI-4」。開発を主導している大阪大学の石黒浩教授本人にそっくりなロボットだ。
今回の特別展では、この「ジェミノイド」が2体(HI-4とHI-2)並んで、来場者もジェミノイド同士の議論に参加することができる。人間同士のリアルな会話とはまだまだ距離を感じるが、人間そのものの見た目のロボット2体と会話をしてみると、なんとも不気味な気持ちになってくる。これがさらに進化していくと、もはや人間とロボットの境目すらも曖昧になっていくのではなかろうか。そして、それって結構危ないことのような……。
などと思いを巡らせたところで、「きみとロボット」展は終盤へ。テーマは「いのちって、なんだ?」。そこでいきなりインパクトを与えてくるのが、夏目漱石とレオナルド・ダ・ヴィンチのアンドロイド。動くわけでもなく喋るわけでもないので蝋人形のようなものといえばそうなのだが、隣には手塚治虫の作品群を元にAIと人間が共同で創作した「ぱいどん」やいつだったかの紅白歌合戦で登場した「AI美空ひばり」が並ぶ。
「大切な人が亡くなったあとに、思考も挙動も同じアンドロイドを作れるとして、あなたはそれを望みますか?」
もしも近い将来これらが融合したら、見た目も思考も夏目漱石そのままのロボットが誕生してしまうかもしれない、ということだ。AI技術がますます発展すれば、夏目漱石アンドロイドが書いた夏目漱石の新作、なんてものが書店に並ぶ日も……。こうなってくると、「最近のロボットってすごいよね。ドラえもんとか鉄腕アトムとかガンダムが実現するかもってこと?」などとのんきなことを言っていられない。
「“命”をテーマにすると、いろいろ考えさせられることがあると思います。人間ひとりひとりの思考とか会話とか挙動がロボットでバックアップできるようになった場合、それはもはやバックアップと呼べるのかどうか。大切な人が亡くなったあとに、思考も挙動も同じアンドロイドを作ったときに、それは本人なのかまったくの別物なのか。来場者にもそういったことを少しでも考えていただくというのが、今回の特別展の狙いのひとつなんです」(宮田さん)
特別展のラストには、「あなたは死後、あなたの個人データとAIやCGなどを利用して『復活』させられることを許可しますか?」という問いが投げかけられる。YESかNOのどちらかに投票するのだが、取材時にはNOがわずかにYESを上回る程度で拮抗中。つまりはなかなか結論の出ないテーマ、ということなのだろう。
ロボットは「人と人の間に入れる科学技術」
「ロボットは、使い方によっては課題解決になる優れた技術です。盲導犬のように目的地に連れて行ってくれるAIスーツケースなどもあり、これなどはまさに課題を解決するロボット。ですが、使い方を誤ると上手くいかないこともあるんです。
たとえば、AmazonがAIに採用を任せたら、男女平等ではなく女性をほとんど採用しなかった。それは、それまで人間がやっていた採用の“歪み”も含めてAIが学習してしまったからです。ロボットやAIは単純に未来を明るくしてくれるものとは限らないんです」(宮田さん)
宮田さんがこう話すように、ロボットの技術は使い方次第で毒にも薬にもなるし、人間とは何かという優れて哲学的な問いにも直結するのだ。
人型ロボットからかわいらしいペットロボット、ぞっとするほどリアルなアンドロイド、AIで会話できるロボット。あらゆるタイプのロボットが並び、ふれあえる。それだけでも充分楽しめるが、その中でロボットと人間との関わりについて考えるきっかけにもなるのが、「きみとロボット」展というわけだ。
「人と人の間に入れる科学技術がロボット。不安要素もあるし、希望もあると思います。この特別展では私たちの考え方を押しつけようという気持ちはまったくありません。少しでも、何かを考えるきっかけにしていただきたいという思いで作っています」(宮田さん)
もはや、ロボットは夢の技術ではない。すでに人びとの暮らしの中に入り込んでいるのだ。「きみとロボット」展の締めくくりでは、ロボットと人間が織りなす近い将来の社会像が提示されている。ロボットの友達とケンカしたり、パートナーロボットと生活を共にしたり、アバターを使って家に居ながらにして世界旅行をしたり。
どんな未来がやってくるかはわからない。そしてそれを決めるのは私たちひとりひとりなのだ。そんなことを、お台場の片隅で考えさせられた。ダイバーシティのふもとにそびえるガンダムも、もしかしたらただのフィクションではなくなる日が、やってくるのかもしれない。
(鼠入 昌史)