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声優歴50年の大ベテラン・若本規夫。山寺宏一、井上喜久子など同業者からも尊敬の眼差しで見られる同氏だが、そのキャリアは決して順風満帆だったわけではない。
40代後半のときに直面した「新規の依頼が来ない」という問題に、どう立ち向かったのか? 若本規夫の人生を綴った『若本規夫のすべらない話』より一部を抜粋。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
◆◆◆
最初は戸惑いを覚えた「穴子役」
主流だった洋画の吹き替えのほかにも、だんだんアニメ、CMとコンスタントに仕事が増えていった。一つ一つの仕事にそりゃ一生懸命だったよ。吹き替えは場数を踏んでいるからなんとなく口が合うんだけど、アニメは最初、口を合わせるのに苦労した。セリフのスピードからして、やっぱり映画とは違うからね。
今も続いている『サザエさん』の穴子役は30代に入ってから始めた仕事。そのとき、たまたま穴子役が空いたんだよね。当時のディレクターが僕に興味を持ってくれてたみたいで、その後釜に僕を推してくれた。
でも、穴子といったら、あの顔でしょ?(笑)
最初は違和感があってね。というのは、それまで僕はわりと整った顔の役しかやってこなかったんだよ。だから、穴子の顔を見て、この顔、できるかな……って思って。
実際何年か苦労したよ。たらこ唇だから、発音を少し重い感じのセリフ回しにしたりしてね。今思えば最初の頃は芝居はできてなかった。雰囲気だけ出していた感じ。
自分でも手応えを感じたのは、吹き替えは『特捜班CI-5』、アニメは『トップをねらえ!』と『銀河英雄伝説』。
合ってたんだね。自分と役との共通項があった。『トップをねらえ!』のオオタ・コウイチロウもそう、熱血だからね。『CI-5』のボーディも、『銀河英雄伝説』のロイエンタールも合っていた。
だから穴子みたいに基本的にハマらない役っていうのは、やっぱりきついよね。でも、長い作品でレギュラーをやると、役のとらえ方が徐々にわかってくるから修練になる。
おかげで、これが穴子だ!というのが、スパーンと出せるようになった。
声が差し替えられていたCMオンエア
CMはまた違う。まず第一にあるのが、クライアントが納得しないとダメということ。クライアントとディレクターが別にいるから、そこで意見が違っていたら、違ったディレクションをされることもある。
一度、シャンプーのCMで、頭を洗っているシーンで、原稿に「気持ちいいことしませんか」と書いてある。「若本さん、色っぽい感じでお願いします」と言われてそういうふうにやった。「はい、OKです」と言ったあとから、なにやらモニターの向こうでもめている。こちらは「お疲れさまでした」と帰って、しばらくしてオンエアを見たら、聞こえてくるはずの僕の声が聞こえてこない。ナレーターが変わっていたんだ。僕とは全然違うタイプの声だし、表現の仕方も全然違う。屈辱だったよ。あのヤローって思ったよね。現場では何にも説明がないんだから、怖い世界だよ……。
でも、クライアントが求めていたものと僕の出したものが違ったってことだから、しょうがないと言えばしょうがない。今の僕なら、数パターンはやるよ。オーソドックス風、おちゃめ風、バイオレンス風とかってね。5パターンくらい出しちゃう。
そうすると、向こうはもう何も言えなくなるんだよ。「ほかに何かあればやるよ」「いや、もうけっこうです」って。
当時は、個性というのもあまりなくて、今のように自由自在に表現できるような力なんかもちろんなかった。だから、そのとき自分の持っているいちばん最高のものを提供するということしかできなかった。
で、もしそれを否定されたら、次がないんだ。何も出せなくなる。そういう底の浅さがあった。今なら、否定されたらじゃあこれ、これ、これっていくらでも出てくる。そのときは、精いっぱいのものをえいっと出して、否定されたら困るなあと内心ビクビクしていたよ。
声優は「瞬間芸」
その頃の仕事ぶりは、だんだん手応えを感じるようになってはいたものの、自分としては本当に納得いってはいなかった。
ごまかしごまかしというか、この辺でやっておくか、こんな感じかな、というようなレベルだった。
だんだん経験も積んで、声に説得力があるから、それなりにはなるんだけど……。今から思えば、まだまだ未熟だった。
声優をやればやるほど、この仕事は深いと思っていたよ。
俳優は顔が出るじゃない。仕草もある。でも、声優は声だけ。声だけで、説得力のあるキャラクターをつくっていかなくちゃいけない。ここが難しい。
でも声優の仕事を辞めようとは思わなかった。ほかに行くところもないしね。ここでやるしかない、そう思って踏ん張っていた。
単にキレイにしゃべって、形だけ揃えて、どうだと言っても、それでは本当に満足いくものにはならない。それらしくしゃべるんじゃなくて、それにならなゃ……。
声に、語りに、その人の「裏」が出てこないと。だけど、そこに行くのがなかなか難しい。誰も教えてくれないからね。ディレクターだって先輩だって、教えられない。ダメ出しはできるんだけど、じゃあ、どうすればいいのかっていうことは誰も教えられない。
要求を聞きながら、批判を浴びながら、こうかな、こうかなって変えていって、試行錯誤して、もがきぬいて、自分なりの正解にたどり着く。
声優は瞬間芸。その瞬間に、これだっていう声が出せないとダメ。要求されて、1週間考えてきますっていうわけにはいかないからね。
ふと気づいたら「新規の仕事の依頼がない」
26歳から声優を始めて、40代までは、売れっ子というほどでもないけれど、それなりに仕事が来ていた。23人いたスクールの同期も、一人消え二人消え、だんだんいなくなっているなかで、続けられているということは本当にありがたいことだった。
しかし、50歳になるちょっと前かな、47、8歳の頃。ふと気づいたら、仕事がレギュラーだけになっていた。新規の仕事の依頼がない。事務所に電話して聞いても、ラチが明かない……。
これはおかしい。あれっと思ったよ。人間、窮地に追い込まれると周りのせいにするんだよね。事務所が積極的に動いてないんじゃないかとか……前にも話したように事務所が仕事を取ってきてくれるわけじゃない……。じゃあ何でなんだろう。そう思って、自分の作品をさかのぼってずっと、観直してみた。いろんな角度から見た。視聴者目線、役者目線。そして、プロデューサー目線を意識して見てみた。
わかったのは、僕の演技は中心をよけて堂々巡りをしているということ。形はそこそこいいんだけど、形だけだった。だから、飽きられるんだなとわかった。中心を突いていない。もしくは、裏というものが出ていない。
人間は表だけで普段は過ごしている。ところが、裏へ回ると、「あのヤロー、ぶっ殺してやる!」とか、表には出せないようないろんな思いがあるじゃない? そういう裏がにじみ出るような、つまりは深みが感じられるような声作りをしなくてはいけない。
そのとき、声優になって25年がたっていた。でも、一回築き上げてきた形をすべて潰さなきゃいけないと思った。積み上げてきたものを壊すのは正直怖い。だけど、思い切って捨てなきゃダメだ。それで、僕は捨てた。
飽きられないために。声優を本業にするために。声で勝負する人間として生きるために。それには鍛錬が必要だと思った。僕は、一から自分を鍛え直すことにした。
50歳の決断だった。そしてこれが、新生・若本規夫の始まりだった。
(若本 規夫)