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尾崎豊の制作秘話「何も考えずにやってほしい」木暮“shake”武彦が振り返る
1: フォーエバー ★ 2022/04/24(日) 11:41:26.43 ID:CAP_USER9尾崎の4枚目のアルバム『街路樹』に収録の『紙切れとバイブル』に、小暮はギターで参加1992年4月25日、26才の若さでこの世を去ったシンガーソングライター尾崎豊。それから30年の時が経ったが、尾崎の楽曲の魅力は色褪せない。アルバム『街路樹』に参加したミュージシャン・木暮“shake”武彦(62才)が、尾崎との制作を回顧する。
デビュー当初から才能を感じていた
ロックバンド「レベッカ」や「レッド・ウォーリアーズ」のリーダーで、ギタリストの木暮が尾崎を初めて知ったのは、1984年3月のことだった。「当時のおれは、『レベッカ』のメンバーとして4月にデビューを控え、レコーディング中だったんだけど、途中でスタッフが、“尾崎のデビューライブを見に行く”といって出かけたの。でも、すぐに“会場に入れなかった”と帰って来て……すごいやつが現れたなと思ったんだ」(木暮・以下同)
そのライブ会場とは、新宿ルイード(1987年閉店)。佐野元春や浜田省吾などもその舞台を踏んだ400人収容のライブハウスだ。そこに、デビューしたての尾崎は800人近い観客を集めたという。
「この時代の日本のロックはまだマイナーで、世の中に流れている曲は、歌謡曲や演歌が主流。おれや尾崎がメジャーデビューした1984年は、BOOWY(>>2つ目のOはストローク符号付きが正式)やHOUND DOGがロックバンドとしては人気を誇っていたけど、音楽業界そのものがロックとしてのセオリーを持っていなかったので、やりたいことができた。
そんな中で、尾崎は思ったことをそのままメロディーに乗せて飛ばす才能があったと思う。現実をストレートに歌っているのに、思慮深さがある。パフォーマンスには疾走感があり爽快だった」
木暮が感じた尾崎の才能には周囲も黙っておらず、デビュー翌年、19才にして、国立代々木競技場第一体育館で単独公演を実施。2日間で3万人を動員した。しかし、前述のようにその後スランプに陥り、渡米することになる。
「成功したら、今度はその先をどう進むかが大切なんだ。直感だけでは何も生まれないから。新たな感情で違う作品を作りたくて、ニューヨークに行ったんじゃないかな」
尾崎が求めたのはシンプルさだった
帰国後、3年のスランプを経て4枚目のアルバム『街路樹』が制作されようというとき、木暮はマネジャーを通じて尾崎から参加オファーを受けたという。「オファーをもらえてうれしかったね。それで、数パターンの演奏を考えてから行ったんだけど、尾崎は“何も考えずにやってほしい”と言う。求められたのはシンプルな演奏で、尾崎はおれの目の前でしゃがみながら聴いていた。“こんなんでいいの?”と聞いたら、“最高!”と笑顔を見せてくれたんだ」
木暮が参加したのは、アルバムの中でもひときわ明るい楽曲『紙切れとバイブル』。爽快かつポップな曲調で、アルバムタイトルの候補曲だった。
「尾崎はおれに勝手気ままなエネルギーを求めていたのかもしれないね。アルバムタイトルの候補になったってことは、彼の中での自信作だったんだろう。そこにおれのギターを必要としてくれたってことは、いまでもうれしいね」
それから5年もしないうちに、尾崎はこの世を去る。
「当時、おれはアメリカで音楽活動をしていた。ロス暴動が起きて、街には銃声や火の手が上がることもあった。そんな中、尾崎の訃報が入ってきて、呆然としてしまった」
尾崎が破滅的な酒の飲み方をしているのは、かねてから目の当たりにしていたという。
「世間が求めるスターの自分と、本当の自分が違い、引き裂かれるような感覚があったんじゃないかな。おれも、次のヒットを出さなくてはいけない、動員数を増やさなくてはいけないというプレッシャーを感じた経験があるので、その苦しさはわかる」
いま再び、2人で演奏するならどんな曲が生まれていたのか。聴いてみたかった。
【プロフィール】
木暮“shake”武彦(こぐれシャケたけひこ)/1960年生まれ。1984年バンド「レベッカ」でメジャーデビュー。以降、「レッド・ウォーリアーズ」などさまざまなバンドで活動を続けている。最新アルバムは『Birthday Song』(ClearSky)。4/24(日) 7:15配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/32ae8e3cb3a033a8c3d826a76b9424629151ec36?page=1
https://i.imgur.com/UWtlMLl.jpg
ネットの反応
こんなのロックじゃないとか昭和だな
昔はみんなそんなこと言ってた
生き様は誰よりもロックだろ
生き様とか言い出したら音楽の世界は負けだよ
ロックってのは魂なんだとさ
いわば自称、言ったもん勝ち
きっと忘れない
って曲を聞いたら涙が止まらなくなった
若い頃は捨て曲だと思っていたんだが
カートとかみんなそうだよ、若くて亡くなると
尾崎もいちおう27クラブなんよなw
ジミヘンとかか。あとだれ?
リーダーだったのにね…
バックでかすかにシャケっぽいカッティングのジャリジャリ音が聞こえるくらい
ギターソロもないし完全に空気
そう
実に的確で詩的な表現
それ以降もダサい奴が好きになる曲の代名詞だったのに
たぶん絶頂期3年くらいだな
短いな
尾崎豊と同世代だけど当時からツッパリやオタクからも相手にされてなかったよ。
ツッパリやオタクでない中高一貫校に通う辺りの学生には人気あったんじゃないかな。
物事を理屈で考えたような歌詞がよくわかる。
須藤晃と組むと、どんなアーティストもプロレタリア色強くなる件
それはないんじゃないかな
杉真理がCBSソニー時代の1983年とか84年のアルバムはディレクターが須藤晃だったし
純正の良質ポップスでプロレタリア色なんかは皆無だよ
盗んだバイクと校舎の窓ガラス割った人って感じでまったく興味なくてバカにしてた方だけど
つべで僕が僕であるためにとか傷つけた人へとか聴いたらガラっと印象が変わったよね
それとかデビューライブとか見て圧倒された
つべ見てなかったらバイクと窓ガラスの人で終ってた
坂本九もだけど
夭逝や非業の死と本業の評価をごちゃ混ぜにしている気がする
15歳であんな曲書けて歌えたの
それ以降宇多田ヒカルくらいしかいない
あの「Automatic」をわずか14歳で書いていたことを考えると、宇多田ヒカルには100年たってもかなわない。
宇多田ヒカルはもちろんスゴいけど
親の英才教育があった
尾崎豊は突然変異だから
カリスマ性って
そういう背景もあるかなと
絶対性と相対性の違いだと思う
宇多田デビュー作は時代が10年後の年に出てても凄いと持て囃されたろうが
尾崎作品は時代との相対性によるもので10年後に出てても評価や食いつきははなかったと思うね
表題曲の足元に降り注ぐ心模様辺りしか覚えてないや
いや十分だろ
今の若い子だとはまらないんじゃないかな
ところが最近レッド・ウォーリアーズの活動ではなく
ダイアモンド☆ユカイと木暮シャケ武彦のユニット名が
DIAMOND SHAKE(ダイアモンドシェイク)。
この時代ややこしすぎる
シャーがわからん
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1650768086/