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ダウンタウン31年ぶりの漫才 「新ネタ」をお笑い評論家はどう見たか?
1: 愛の戦士 ★ 2022/04/11(月) 10:38:48.67 ID:CAP_USER9AERAdot. 4/9(土) 11:304月2・3日の2日間にわたって大阪・なんばグランド花月で「吉本興業創業110周年特別公演『伝説の一日』」が行われた。東京のテレビで活躍する売れっ子芸人から大阪を拠点にする漫才師や落語家まで、あらゆる世代、あらゆるジャンルの吉本興業の芸人が総出演する一大イベントである。
超豪華な顔ぶれが揃うそんな特別なイベントの中でも、最も世間の注目を集めたのは、あのダウンタウンが舞台に上がるということだった。
10年前に行われた吉本興業創業100周年特別公演でもダウンタウンは舞台に立っていた。そのときには「エキセントリック少年ボウイ」「明日があるさ」「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」などの持ち歌を披露していた。
今回もダウンタウンの出演は告知されていたが、何をやるのかは明かされていなかった。10年ぶりの公演で前回と同じことをやるとは考えづらいし、単にフリートークをしてお茶を濁すとも思えない。ひょっとしてダウンタウンは「漫才」をするのではないか? お笑いファンの間ではまことしやかにそんな噂が流れていた。
そして、伝説の幕が開いた。4月3日の「伝説の一日 千穐楽 参回目」でダウンタウンの出番が来た。EPOの「DOWN TOWN」が出囃子として流れる中で、明転したステージ中央からセンターマイクがせり上がり、ダウンタウンの2人が姿を現した。ここで見る側の興奮はピークに達した。センターマイクが出てきたということは、そう、「漫才」をやるということだ!
笑顔で客席に手を振る浜田雅功と、しかめ面でだるそうにしている松本人志。そんな2人の漫才がゆっくりと始まった。
ダウンタウンが漫才の歴史を変えた、というのはお笑い史の教科書に太字で書かれている有名な話だ。「漫才ブーム」で人気を博したB&B、島田紳助・松本竜介といった漫才師は、ハイスピードの掛け合いを売りにしていた。一方、漫才ブーム後に出てきたダウンタウンはゆっくり話す漫才を演じていた。また、松本の常人離れした発想力を生かしたボケの切れ味にも非凡なものがあり、「シュール」と形容されることも多かった。
そんな時代の先を行くダウンタウンの漫才は、最初はなかなか評価されなかった。横山やすしは彼らのネタを見て「お前らのやってるのは漫才やない。チンピラの立ち話じゃ!」と酷評した。
松本は、やすしのような上の世代の漫才師が漫才を一定の型にはめようとすることに違和感を持っていた。そして、「チンピラの立ち話で何が悪い。2人が舞台の上で面白い話をすればそれが漫才だ」という新たな漫才観を打ち立てた。その後、ダウンタウンは漫才師として揺るぎない実績を残し、自らそれを立証してみせた。
ダウンタウン以降、「日常会話の延長としての漫才」が若手芸人の漫才の主流になり、それが定着していった。技術やセンスはあとからついてくる。何よりもまず、面白いかどうかが重要だ。ダウンタウンによってそんな「面白さ至上主義」の時代が幕を開けた。
今回のダウンタウンの漫才を見て、私が何よりも感動したのは、彼らが演じていたのが紛れもない「漫才」だったということだ。ダウンタウン以降、フリートークと漫才の境界線は限りなく曖昧になっている。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で彼らが見せていたフリートークは、その場で作り上げる即興漫才のようなものだった。
今回の漫才でも、ほとんど打ち合わせや事前準備のようなことは行われていないようだが、「クイズを出し合う」というネタの骨組みはしっかりしていた。ところどころで脱線を繰り返しながらも、その主題を軸にして話が展開していく。松本の恐ろしいほど切れ味鋭いボケと、浜田の緩急自在のツッコミ。見る側がそこに安心して身を委ねられる、至福の30分間だった。
漫才、コント、大喜利……各分野でダウンタウンおよび松本人志が新しく発明したものを数え上げればきりがない。誰よりも伝統に反発していた2人が、新しい笑いの伝統を作ってきた。そんな彼らはこの歴史的な舞台に堂々と「新ネタ」を持ってきた。ダウンタウンの革命は今なお進行中なのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/c3045da18c3c5d46d9ef7c3dde65720d28cf79a0&preview=auto
ダウンタウンは吉本興業創業110周年特別公演で漫才を披露した
https://i.imgur.com/P0Pevju.jpg
ネットの反応
型にはまった漫才の否定はむしろ原点に帰る漫才ルネッサンスだな
> ダウンタウン以降、「日常会話の延長としての漫才」が若手芸人の漫才の主流になり、それが定着していった。
そうでもないだろ、一時期はダウンタウン病として流行ったけれど、M-1開始後は競技漫才としてどこまでボケを詰め込めるかみたいなものが主流になった
おいおい、やすしは別にダウンタウンの漫才を否定した訳じゃないぞ!あの時のネタは本当に品がなくてチンピラの立ち話みたいなネタやった。
その名の通りその場での即興、アドリブのコント、掛け合いだった。
だから面白いフリートークこそが漫才の原点回帰である。
いや、うちの教科書には象さんのポットと書いてあるんだが
どっちが本当なんだ
お笑いスター誕生で象さんのポットを先に見てたから、子供ながらにダウンタウンの漫才はいまいちに感じた
M-1の功罪は大きいね(´・ω・`)
日本のガラパゴス化の大きな要因の一つに日本文化のトップにお笑いが君臨してるからだよね(´・ω・`)
唯一評価して凄いなって思うのはダウンタウンだったな
単純に面白いってのは数々あるけど
面白いけど独特な世界観だなぁ、若い頃のダウンタウン見て思ってた
ごっつのコントも殆ど台本無しでやったから面白かった
松本が作り込んだコントや映画は今一だった
ダウンタウンは即興で真価を発揮するコンビ
作りこんだのはうっちゃんとかのほうが面白いもんな
素人判断だと、後世に影響を与えたのは功
劣化コピーしかできない後追いを量産させてしまったのは罪
歴史的には、歌舞伎や狂言、落語とかのかっちり決まった演目を、
お座敷とかでその場にいる人が余興で一部分だけやる遊びから派生したという説がある。
即興のグダグダを笑ったり勝手に改変したり、だんだんと「即興で面白い事ができる人」が生まれて来て
プロ化して、それが新喜劇や漫才の源流になった、と。
ダウンタウン特有の気だるさみたいなものを模倣する奴らが一時期増えただけ
M-1以降はむしろテンポ上がってるし
ダウンタウンが発明したのが、
「発想力」で勝負する漫才。
しかし、誰でもできるわけじゃない。
M1以降、スピード漫才に戻ってるってのはその通り。
トーク番組でボソッと松本が一言ボケてそれを浜田が的確なツッコミしてってのがダウンタウンの本筋
瞬発力とパッケージを作る天才であってプレイヤーとしては意外と微妙なんだよな
漫才やってたころは、実に画期的で衝撃的やったぞ。
今見て大したことないって思うのは、ジャンルの一つとして定着したからだ。
そうそう。その通り。
ダウンタウンの漫才を否定したわけではない。
だからラリーはバカって言われるんだよ。
一度分かってしまえば面白いし凄いことはわかるんだけど
だからもう完全にファンになってしまった人が「いやいやダウンタウンの漫才は凄かったよ!」という事と当時の評価は別
ここにいる奴らが「凄かったし評価もされてた」と当時の現実を見誤ってるのが残念だね
クイズ漫才
松ちゃんが突然「ブルースカイ、クイズ!」
当時から面白かったよ w
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1649641128/