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子どもの自殺 初の400人超 不登校は19万人以上で過去最多 – nhk.or.jp
(出典:nhk.or.jp) |
自殺以外の原因で死亡した場合より、母親が自殺した場合のほうが、子が自殺する強い要因となるということも浮かび上がった)。 過去の自殺試行は最大のリスクファクターである。自殺者の約20%は以前に自殺未遂を経験しており、自殺未遂者の1%は1年以内に自殺を遂行し、5%以上は10年以内に自殺
234キロバイト (34,105 語) – 2022年4月2日 (土) 23:22
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日本のものづくりの力は遊びで育まれた
実は近代の日本の産業界をになった人物の多くが、学校ではなく、こうした生活の中でも工夫や努力によってもの作りの才覚を身につけていったということが示唆されている。
松下幸之助氏は小学校4年までしか行っていないし、本田宗一郎氏の学歴も小卒だ。私の親父もレコードを作らせたらこの人の右に出る人はいないと作家五味康祐にいわせた録音技師だったが、学歴はやはり小卒だ(『芸術新潮』1973年秋号)。
元京都大学教育学部教授だった藤本浩之輔氏が明治時代に子どもだった人に聞き取って、当時の生活を再現した『明治の子ども 遊びと暮らし』(本邦書籍1986年)という興味深い本があるが、その中でも明治時代の子どもの実にダイナミックな遊びの様子が聞き書きで再現されている。
それを見ても、明治以降の日本の近代化を最も底辺で支えたのは、もの作りの工夫を尋常ならざるレヴェルで追求した職人魂の持ち主たちで、その動機、志向性は生活の中特に遊びの工夫の中で育まれたという印象が強くなる。明治期の職人たちが、日本の産業革命後に工場で職工として活躍したのであるが、その職人的な志向性は子どもの頃の遊びの中に淵源をもっている。
■遊びには「積み重ね」が必要
最初に空間、時間、仲間の三つの間がなくなってきたことが子どもの遊び力の衰退の要因だという言い方にはもっとていねいな吟味が必要だと述べた。
たとえば先の宮原氏の写真の中で、公園の滑り台から飛び降りる遊びをしている子どもたちの様子をもう一度見てほしい。現在の子どもたちに、同じような滑り台とマットを与えたらどうなるだろうか。おそらく、誰もこういう遊びをしないだろう。やってごらんといっても怖がってしないと思うし、無理にさせようとすると逃げていくにきまっている。
つまり、遊びには、幼い頃から徐々に上手になり、大胆になっていくという積み上げが必要なのだ。
遊びは、工夫してやることでだんだん面白くなるという体験、やっとできたという達成感、それに伴う喜びの感情、そしてもっと挑んでみようという意欲、そうした感情体験と、それらを通じて育つ自分への信頼感や自信、そうしたものがない交ぜになった遊び体験のポジティブな感情と記憶が体に刻み込まれていなくてはならない。
もちろんスキルアップはいる。しかし遊び力というのは単なるスキルアップではなく、世界を自分のものにできるという情動的能動性が高まっていくことなのだ。体が遊びを覚え、それが世界に向かうときのその子の能動的な立ち位置をたかめていく。
今はこうした体験を幼児期からすることが極めて困難になっている。
体に遊びのワザと喜びの記憶が刻み込まれていかないし、自分はできるという自己信頼も育てることが難しい。それではいくら三つの間が与えられても、子どもたちが遊び出すことはないだろう。遊びは生きながら順次発酵していく、世界への能動的な姿勢であり意欲であり作為力なのである。(後編に続く)
https://news.yahoo.co.jp/articles/dfd7bef9edd3216f3d8c8fc72d56a8bbd6550f1a?page=5