【内匠宏幸】今の阪神に必要なのは「1985年の掛布、岡田」 選手の責任で取り返せ

【内匠宏幸】今の阪神に必要なのは「1985年の掛布、岡田」 選手の責任で取り返せ

【内匠宏幸】今の阪神に必要なのは「1985年の掛布、岡田」 選手の責任で取り返せ

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唐突であるが37年前のことを書く。1985年、阪神が日本一になったシーズン。この時、チームの支柱にあった2人、それが掛布雅之と岡田彰布だった。
年齢は掛布が2歳上だった。4番として揺るぎない地位を確立していた。岡田はといえばプロ5年目。年々、その存在感を高めていた。いつしかチームの中に「掛布派」「岡田派」が色分けされていた。本人たちは意識していないが、トラ番は「両雄」という形を作り上げた。
2人で飲みに行くことは皆無。会話する姿さえなくなった。両雄並び立たず。阪神の歴史が繰り返された。そんな時、岡田が掛布に相談した。1985年の夏…、岡田が掛布に声をかけた。「カケさん、何とかしないとチームはガタガタになる。だからみんなで話し合いをもちたいのですが」。これを受けて掛布は協力を約束した。
選手会長の岡田は6連敗中の遠征先、広島の宿舎大広間に全選手を集めた。掛布がその横に立った。監督、コーチはいない。球団関係者の姿もない。選手だけのミーティングが、ターニングポイントになった。みんなが好き勝手に意見を述べた。実現不可能なものもあった。それを岡田は集約し、総意として、時の監督、吉田義男にぶつけた。
「そらアカンわ」。吉田は選手の提案を却下。しかし、これでチームは変わるという手ごたえを感じていた。そして連敗は止まり、その後はあの熱狂が待っていた。
どうして今、この話を掘り起こしたか。改めて、戦うのは選手だ、ということ。これに尽きる。監督の存在とは、実はそれほど大きくはない。グラウンドに選手を放てば、あとは選手の力比べで勝敗が決まる。監督の選手起用、采配で勝つゲームは年間、何試合あるだろうか。それほど多くないし、もちろんベンチ力で勝たせることは少ないから、貴重であるのだが…。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/4c48e145ab66c135bccb1c90b7dc4b33ecedb5b5

13: 風吹けば名無し tri***** 18分前
当時の掛布、岡田を現在に当てはめるとやはり大山、佐藤輝になるんだろうな
最も2年目の佐藤には荷が思いからそうなると大山と梅野に担ってほしい所

21: 風吹けば名無し wrp***** 1時間前
1985阪神には何と言ってもスーパースターがいた。ランディバース!彼の名前を忘れてはいけないでしょう。それにしても掛布岡田とはあまりにハードルが高過ぎませんか?


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