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「プーチンを倒せば平和が訪れてハッピーエンド」ウクライナ戦争をそう捉える人たちが忘れていること
■ウクライナの戦いに貢献せよというプレッシャー
「みなさんは何千もの戦闘機を持っているのに、まだ1機も受け取っていない」
3月24日、ウクライナ・ゼレンスキー大統領はNATOサミットで、アメリカや欧州諸国にそんな不満をぶちまけた。ロシア軍を撃退するために、「際限のない軍事支援」をしてくれないと困ると強く要求したのである。
世界が称賛する「英雄」にここまで言われたら、西側諸国も断れない。もともと各国の軍部からは、「ミグ戦闘機などを欲しがるだけ提供すべき」という声も上がっていたので、ウクライナ軍に最新兵器が提供されるのも時間の問題だ。
そうなると、アメリカの「舎弟」である日本も、「いや、うちは憲法9条あるんで、カネだけ出します」なんて言い訳は通用しない。これまで防衛装備移転三原則の運用指針を変更して、どうにか防弾チョッキなどの提供をしているが、西側諸国からもっと戦闘に役立つものを提供せよとプレッシャーをかけられる可能性も高い。
また、この流れでいけば「後方支援」の名のもとに自衛隊の欧州派遣の可能性もある。現在、米軍とNATO軍はウクライナを囲むように東欧諸国に即応部隊を派遣、日本もポーランドに自衛隊の医官を派遣しているが、戦いが長期化すれば「日本も部隊を出してちょっとは貢献しろよ」と迫られるはずだ。
■“降伏論”を唱えた人はバッシングを受けた
そう聞くと、「世界的な危機に日本も協力をするのは当然だ」と感じる人も多いだろう。「#プーチンは人類の敵」というハッシュタグができているように、ネットやSNSでは、核や化学兵器の使用も囁かれるプーチン大統領を食い止めるためには、「戦争反対」なんて甘っちょろいことを言ってられないという意見が増えているからだ。
実際、ロシアの侵攻開始時、ワイドショーのコメンテーターの中には、「国民の命を守るために抗戦せずに退避をする選択肢もあるのでは」という“降伏論”を唱える人もいたが、「ロシアに奴隷にされるのがわからないのか」「ウクライナの人々に謝れ」などとバッシングを受けている。また、ロシア国内での営業継続を表明していた企業も「日本の恥」などとボロカスに叩かれた。
今、ウクライナで起きていることは「人類の敵・プーチンを倒す正義の戦い」であって、そこに非協力的な態度や「反戦平和」などを軟弱な姿勢で臨むことは、日本人として許されることではないというムードが強まっているのだ。
それをさらに後押ししているのが、「日本を守るため」にもこの戦いを積極的に支援すべきといういわゆる「集団安全保障」の視点である。
■ロシアは北方領土で軍事演習を開始
ロシアと中国との間に「領土問題」を抱えている日本にとって、日米同盟や西側諸国との友好関係が一定の抑止力になっていることは言うまでもない。いざという時に助けてもらうのだから、それらの国々が足並みを揃える「対ロシア包囲網」に参加しないわけにはいかないというわけだ。戦闘自体はウクライナで起きているものの、日本もこの戦争の「当事者」というわけである。
国民の大多数は、日本はウクライナ国民の命を救う人道支援や、戦争をやめさせるような働きかけに協力をしているだけという“第三者的ポジション”だと思い込んでいるが、客観的にみれば、我々はもうこの戦争にガッツリと参加している。実際、ロシアは日本を「非友好国」と呼び、北方領土で軍事演習も開始しているのだ。
日本は未だかつて経験したことのないような「岐路」に立たされているような印象を受ける方も多いだろう。しかし、それは我々の多くが「戦後生まれ」ゆえの錯覚だ。
今、90歳から100歳くらいの方たちからすれば、今の日本国内の「正義の戦い」を支持するムードや、知識人やマスコミによる「西側諸国ともっと連携を」という呼びかけは「やれやれ、またかよ」という既視感しかない。
■80年ほど前の日本も「人類の敵」と戦っていた
というのも80年ほど前の日本社会も「西側諸国と連携して人類の敵を倒せ」の大合唱だったからだ。「戦争をしても死ぬのは国民なんだから話し合いで解決しない?」なんて口走ろうものなら、SNSでボコボコに叩かれるように袋ただきにされるのも同じだった。
ただ、ひとつだけ違っているのは、連携する「西側諸国」はドイツとイタリア、そして「人類の敵」がプーチン大統領ではなく、アメリカのルーズベルト大統領だったということである。
当時の日本人が考える「正義の戦い」がどういうものかを理解するのにうってつけなのが、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラー総統の「演説」である。
戦後はその名を口にするのも憚られる「狂気の独裁者」というイメージが定着しているが、実は当時の日本人とってヒトラーは日本をベタ褒めする親日家で、連戦連勝の天才的戦略家として人気があり、今のゼレンスキー大統領どころではない「異国の英雄」だった。だから遠く離れたドイツで行われた演説もすぐに要約されて、新聞の1面を飾った。
例えば、1941年12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃の1週間後、アメリカに宣戦布告をしたヒトラーの演説は「最後の勝利確信 人類の敵 米の野望」(読売新聞1941年12月13日)と大きく報じられ、多くの日本人の留意を下げた。その一部を抜粋しよう。
■日本人を奮い立たせたヒトラーの演説
「ドイツ国民は日本がこの人道をはづれたアメリカに敢然抗議した最初の国家として日本に對し最上の尊敬の念を捧げざるを得ない」
「われわれと日本が同盟関係をもつていなかつたとしたならばルーズヴェルトとユダヤ人が各國を次々と滅亡して行ったであらう」
ヒトラーは今回の戦争の火付け役は、ヨーロッパの紛争に介入してきた米ルーズベルト大統領だと指摘、「精神錯乱に陥っている」「詐欺と搾取の世界」をつくり上げていると痛烈に批判して、そんな「人類の敵」にはじめて立ち向かった日本を大絶賛しているのだ。
ご存知のように、日本人は外国人に褒められると弱い。ドイツの英雄から「日本スゴイ」と持ち上げられたことで、当時の日本は「今こそ同盟国との連帯強化だ」「聖戦完遂」の大合唱がおこった。そして、大人から子どもまで、人類の敵・ルーズベルトを叩きのめす「正義」にのぼせ上がった。
「日本人は軍に脅されて嫌々戦争をしました」と信じて疑わない人たちにはなかなか受け入れ難い現実だが、当時の日本人はオリンピックで日本人が金メダルを取るのと同じような歓喜と熱狂の中で、多くの国民が「正義の戦い」にのめり込んでいたのである。
■遠い国のリーダーの「日本スゴイ」が持つ力
ちなみに、この後も日本人の「ヒトラー演説人気」は衰えることはなかったのだが、そこで大きなポイントになっているのが、「やっぱりヒトラー総統とは気が合うなあ」という親近感である。1942年10月2日の「読売新聞」の社説がわかりやすい。
「ヒトラー総統のこの演説は、何ものを以てしても動かすことをえない勝利への絶対的確信とかゝる確信を抱いて邁進するヒトラー総統の背後に随うドイツ国民の旺盛なる愛国心と団結力のいかに強固にして偉大なるものであるかについて、特にわれわれに深い印象を與へるのである」
当時、日本人がヒトラーとドイツ人が好きだったのは自分たちと同じく「愛国者」ということが大きいのだ。実際、ヒトラーが戦地に赴いた際には、日本では「皇国先人の烈々の愛国魂」(読売新聞1943年4月9日)をおさめた「愛国百人一首」を制作して、ドイツ大使経由で贈り物をしている。
さて、このように、遠い国のリーダーの「日本スゴイ」にうっとり聞き惚れて、その愛国心に心を震わせて戦意を高めた80年前の日本人の姿を見て、何かと重ならないか。そう、ゼレンスキー大統領の演説に対して、「日本のことをよくわかっている」「感動をした」と称賛をした今の我々の姿と丸かぶりなのだ。
■日本人に刺さったゼレンスキー大統領の演説
「ロシアの侵略と戦うゼレンスキー大統領とヒトラーを重ねるなんて許せない! 謝罪しろ!」という猛烈な抗議がきそうなので、あらかじめしっかりと断っておくが、大量虐殺をした非道な独裁者と、ゼレンスキー大統領に指導者として重なる部分など1ミリたりともない。
ここで筆者が指摘をしたいのは、「外国のリーダーからの呼びかけに対する日本人のリアクション」が80年前も現在もそれほど変わっていないという事実だけだ。
ご存知のように、ゼレンスキー大統領は演説で、「日本はアジアのリーダーとなった」「日本の文化は素晴らしい」と日本をベタ褒めした。そこに加えて、ロシアが核施設を戦場にしたことに触れて、プーチン大統領がいかに人類全体の脅威であることを訴えた。原爆を落とされて、福島第一原発事故を経験している日本にとってこれほど刺さる話はない。
これらのスピーチで、ウクライナへの親近感と、ロシアの危機感が高まって、徹底抗戦を全面的支援するというムードが社会に一気に広まっているのはご存知の通りだ。
そこに加えて、ゼレンスキー大統領とウクライナ国民の「命を投げ出してでも国を守る」という姿勢も、日本の愛国者のハートをガッチリと捉えている。演説後の山東昭子参議院議長のコメントがわかりやすい。
「先頭に立ち、貴国の人々が命をもかえりみず祖国のために戦っている姿を拝見し、その勇気に感動している。一日も早く貴国の平和と安定を取り戻すため、私たち国会議員も全力を尽くす」
■「正義の戦い」はエスカレーションしていく
80年前と今では感動している相手は「狂った独裁者」と「英雄」でまったく異なっている。しかし、「アジアのリーダー」と持ち上げられながら、我々と一緒に手を取り合って「人類の敵」を叩きのめそうと呼びかけられて、一気に戦争にのめり込んでいるムードは、80年前と恐ろしいほど酷似しているのだ。
断っておくが、だからアメリカや西側諸国に協力するな、などと言いたいわけではない。今の日本が置かれている状況を考えれば、ウクライナの全面支援をするのも当然だ。ロシアから敵国扱いされてもこの「正義の戦い」に参加しなくてはいけない。
ただ、歴史を学べば、「正義」を掲げた戦争の多くは一度始まってしまうとなかなか止められないでエスカレーションして結局、犠牲になるのは指導者ではなく国民という厳しい現実がある、ということを指摘したいだけだ。
エスカレーションしていく最大の理由は、「支持率」である。
■リーダーの戦争への姿勢と支持率は明らかに連動する
よく言われることだが、この戦争の前まで、ゼレンスキー大統領はウクライナ国民からそれほど人気はなかった。今年2月までは支持率は41%だったが、ロシアが侵攻してきて徹底抗戦をすることで91%と爆上がりした。これは、対するプーチン大統領も同じで、これまでクリミア半島などで戦争を仕掛けるたびに支持率をアップさせている。
これは裏を返せば、国際社会の圧力などで、軍を撤退させたり、和平交渉を進めたりすると、ゼレンスキー大統領やプーチン大統領の支持率はガクンと下がって最悪、愛国的な政治勢力から批判されて権力の座から引き摺り下ろされる恐れもあるからだ。
つまり、一度始まってしまった「正義の戦い」が、自国の国民が犠牲になってもなかなかやめられないのは、リーダーたちの「保身」もあるのだ。
先ほども申し上げたように、ロシアは日本を完全に「敵国」扱いして、北方領土で軍事力を行使してくる。あちらからすれば、「先に挑発をしたのはそっちだろ」という言い分だ。
となると、日本政府としては、これに毅然とした態度で臨まないといけない。「まずは話し合いを」なんて弱腰なことを言うと、国民から「そんな生ぬるい事を言っているからナメられるのだ! ゼレンスキー大統領の爪の垢を煎じて飲め」と突き上げられて、支持率も低下していってしまう。
■戦争で犠牲になるのは指導者たちではなく国民だ
こうなると、「日本の領土は死んでも守る!」「核共有も真剣に議論すべき!」「敵基地を先制攻撃だ」と威勢のいい事を言えば言うほど支持率が上がる。そうなると、プーチンや習近平と同じで、権力を揺るぎないものとするためにもっとナショナリズムを刺激するように周辺国への対応が過激化していく。ここまでくると、武力衝突まであと一歩だ。
よく社会が右傾化していくことをじわじわと広がっていくことを、「軍靴の音が聞こえる」なんて表現をするが、実は「正義の絶叫が聞こえる」の方が正しい。
そして、この「正義の戦い」で犠牲になるのは、指導者たちではなく国民だということも忘れてはいけない。
■日本にしかできない国際協力があるのではないか
80年前、日本は「正義」の名のもとで中国や東南アジアに進出したが、そこで現地の民間人の命も多く奪った動かし難い事実がある。また、自国民も約300万人が亡くなっている。そして、アメリカ側も「正義」の名のもとで都市を空襲して、広島と長崎に原爆を落とした。こちらも犠牲になったのは無数の市民で、日本の戦争指導者たちはほとんど無事だった。
今起きていることも基本的には変わらない。ロシアは「正義」の名のもとにウクライナ国民を惨殺している。一方、ウクライナ側も、捕虜にしたロシア軍兵士を膝まづかせて殺害した動画が報道されている。「正義」と「正義」のぶつかり合いで犠牲になるのは、常にそれぞれの国で最も弱い立場の「国民」なのだ。
そんな「正義の不毛さ」を、我々はどこの国よりも思い知っていたはずではなかったのか。
「もっと西側諸国と連帯せよ!」という叫びが社会に溢れる今だからこそ、少し冷静になって、自分たちがかつてロシアとまるっきり同じ立場だったことを思い出すべきだ。
個人的には、欧米の“2軍的立場”で対立を煽るのではなく、トルコのようにどちらの国とも友好関係を維持したまま、「仲裁」に奔走することこそが、日本にしかできない国際協力ではないかと考えている。
少なくとも、「プーチンを倒せば平和が訪れてハッピーエンド」という、ハリウッドの戦争アクション映画みたいなお花畑的なストーリーは懐疑的に見るべきではないか。
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ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)など。
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