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元ラグビー日本代表 吉田義人が語る〝伝説の早明戦〟で踏ん張れたのは少年時代に遊んだ雪の中でのラグビーだった
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1月20日(木)、Click Holdings株式会社・代表取締役社? 半沢龍之介が編集長、ニッポン放送・前島花音アナウンサーが副編集長を務めるラジオ番組「ラジオマガジン・登龍門」(ニッポン放送・毎週木曜20時30分~21時)が放送。元ラグビー日本代表、現在は一般社団法人・日本スポーツ教育アカデミーで理事長を務める吉田義人が出演。選手時代に人生を変えた登竜門を伺った。
伝説の早明戦で悟った「今日は俺のものだな」
半沢龍之介・吉田義人・前島花音
毎週様々な分野で活躍するゲストを迎えてトークする同番組。今回のゲストは元ラグビー日本代表、現在は一般社団法人・日本スポーツ教育アカデミー理事長の吉田義人。ラグビーとの出会い、人生を変えた師とのエピソードを語った。
前島:明治大学では1年生からレギュラーとして活躍されていましたが、そもそもラグビーとの出会いは?
吉田:小学校3年生の時ですね。今でも鮮明に覚えています。秋田県男鹿半島で生まれ育ったんですが、物心付いた時から仲間と外で遊ぶのが大好きでした。夏は海で泳ぎ、山で木登りをして遊ぶんですが、冬はスキー。といってもゲレンデがあってリフトがあって滑るわけではないんです。獣道みたいな山道がありますよね。
半沢:ノルウェーやスウェーデンの雪道のような。
吉田:そういうところです。スキー板も短いプラスチック製で値段が300円。それを長靴に結んで履いて、ほぼ直滑降で獣道を滑るんです。そんな遊びをしていたんですが、仲間の1人が「今日はラグビーをして遊びたい」って言い出したんです。こっちはラグビーボールを見たのも初めてですから「変な形をしたボールだな」という印象でした。
半沢:楕円形のボールですもんね。
吉田:「裏の田んぼ行こうぜ」って一面の銀世界で田んぼの縁をタッチラインに見立てて無我夢中でボールを追いかけました。興奮して家に帰って母親に「ラグビースクール入りたい」と言ったら「じゃあ習字とそろばんの塾に言ったらいいよ」と交換条件を提示されました(笑)それがきっかけですね。
半沢:明治大学ラグビー部に入るといきなりエース並みの活躍でしたもんね。
吉田:1年生の時に6万人の観衆で埋まる早明戦に出場させてもらいました。真っ青な青空のもと、グリーンの芝生の上を思いっきり走るぞと思ったら、前夜から降り続いた雪が積もりに積もって。ラグビーができるような状態ではなかったんですが、関係者が雪かきをしてくれたんですよ。それでタッチライン沿いに除雪された雪が積もって。お客さんもこの一戦を楽しみにしていましたね。
半沢:それくらいみんなラグビーが大好きだったんですね。
吉田:雪の早明戦と呼ばれて。
前島:伝説の一戦ですよね。
半沢:雪の中で試合が行われたんですよね。
吉田:東京出身の人たちは中止だと思ったらしいですが、僕は秋田で生まれ育って雪の中でずっと雪上ラグビーをやってますから「今日は俺のものだな」と思いましたね。
前島:小学校3年生の時の話を思い出しました(笑)
半沢:多くの経験をされてきた吉田兄貴。選手時代の人生の登竜門は?
吉田:やっぱり人だね。人との出会いですね。やはり明治大学の北島忠治監督の出会いそのものです。キャプテンに任命された時はびっくりしましたよ。だけどすぐ考えたんです。監督はなぜ俺をキャプテンにしたのかと。俺の姿を見て評価したんだから、変える必要はないと思ったんですね。キャプテンになったらみんなをまとめなきゃいけないと考える人がいるんですけど、全く思いませんでした。いままでのスタイルをやり続ける。ただ1つだけ選手のみんなに言ったことは「俺は明治大学で優勝したいんだ」と。北島監督に恩返しをしたかったんですね。
「初めて誰かのために…」と強く思ったのは北島忠治監督との出会いと恩があったからと語る吉田義人。選手として活躍に至るまでのエピソードが満載です。