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「駅員さんに手伝ってもらうのは申し訳ない」車いす利用者にそう思わせる日本社会は恥ずかしい
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■「公共交通を利用するという発想がない」
2021年、東京でパラリンピックが開催された。世界各国から車いすなどを利用する選手が訪れ、改めて日本国内のバリアフリーがどうなっているのかを考えるきっかけとなった。
残念ながら今の日本では、車いす利用者が一人で外出することは物理的にも心理的にもハードルが高い。「車いすの利用者の中には、公共交通を利用するという発想がない人も多い」という話も耳にする。
鉄道やバスで移動する際には自力で乗り降りすることは難しく、スロープを出してもらうなど駅員や乗務員などの手を借りる必要がある。2021年4月には、JRに乗車を拒否されたと報告した車いすの女性のブログがネットで批判を浴びた。
車いすに乗っている筆者の20代の友人は「通学や通勤など決まった駅を利用する場合は、駅員さんにお願いして毎日スロープを出してもらっている。昔に比べるとやさしく対応してくれるようになったのでうれしい」と話す一方、公共交通の不便な点も指摘する。
「無人駅は使えないし、複数の公共交通を乗り継ぐような遠方への旅行では、それぞれ個別に連絡する必要があるので手間も時間もかかって大変だ。また、タクシーに乗ろうとした際に、車いすを乗せられないと断られたことがある。私は気にしなくなったが、ほかの利用者からじろじろ見られて嫌な気分になる人もいる」
■欧米で車いす利用者がストレスなく移動できる理由
厚生労働省によると、身体障害者手帳を持っている人のうち毎日外出する人は65歳未満で33.4%、65歳以上で16.3%という。障害の程度にもよるだろうが、車いすの利用者が積極的に外出している環境ではないことがうかがえる。
一方、アメリカの鉄道駅では、階段だけでなくスロープでもプラットフォームにアクセスできる。車両とプラットフォームとの隙間が小さいので他人の助けがなくても一人で乗り降りができる。
また、バスにも自動開閉式のスロープがついていて、乗務員は運転席に座ったままボタンを押すだけだ。気にならないくらいの短時間でスロープが作動し、車いす利用者が乗り降りしても本人やバスの乗務員、他の乗客に負担はかからない。
ヨーロッパでは、階段や段差などで障害者やベビーカーで困っている人がいたら「手伝いましょうか?」と老若男女問わず躊躇なく声を掛けるし、掛けられる方も遠慮して断るのではなく「ありがとう」と手伝ってもらう。そこで今日の天気や車内の混み具合などについて会話を交わし、乗客の間に和やかな雰囲気が生まれる。
■「物理的バリア」より「心理的バリア」が根深い日本
なぜ海外と日本とで、車いすを巡る環境に差があるのだろうか。
「障害者の社会参加推進等に関する国際調査(内閣府 2007年実施)」によると、ドイツやアメリカでは9割近い人が、障害のある人を前にしても「あまり・全く意識せず(気軽に)接する」と回答している。一方、日本では6割の人が「意識する」としている。
日本社会が障害の有無で区別する点を、障害のある子どもを持つ須藤シンジ氏(NPO 法人ピープルデザイン研究所代表理事)は「この心理的バリアは物理的なバリアより根深い」と訴える。
筆者はこの心理的バリアが、法整備やインフラ整備、情報の出し方、そして外出そのものに対する心理的負担になっているのではないかと考えている。心理的バリアが色濃く残っている要因はいくつか考えられるが、1つは個人の捉え方や社会形成の違いにあるようだ。
■アメリカでは障害者も「個人の自由」を主張する
個人の人権や自由を尊重することで社会全体が幸福になるという「個人主義」と、社会全体の幸福を実現することで個人の幸せを実現するという「社会主義」の2つに分類する考え方がある。
50カ国と3つの地域を個人主義指数で比較すると、上位は1位アメリカ、2位オーストラリア、3位カナダ、4位カナダとオランダ、6位ニュージーランド、7位イタリア、8位デンマーク、10位スウェーデン、となる。日本は22位で、日本を含めたアジア諸国は個人主義の値が低い。
示村陽一氏の著書『異文化社会アメリカ』によると、最も個人主義の値の高いアメリカは、多民族・多人種・多文化社会で、「社会は個々が自立した個人であることを求め、社会システムは自立した個人を助長するシステムになっている」という。
NPO法人ヒューマンケア協会代表の中西正司氏は、アメリカでは障害者も「個人の自立」を主張する活動が活発で、自立生活(IL)運動や障害者の人権をめぐる活動が1970年代の中頃までに形になり、1990年障害のあるアメリカ人法(ADA)につながった、と指摘している。
障害による差別を禁止するこの法律で、個人の人権や自由、尊厳を実現するためのインフラ作りが必須となり、冒頭で紹介したように、障害者でも一人で移動しやすい環境が整えられていった。また海外に軍を派遣しているアメリカでは、帰国した傷痍軍人のためにもインフラが整えられているのだそうだ。
■社会のバリアに困るのは障害者だけではない
一方、日本では個人の自由にあまり重きが置かれなかった過去がある。アメリカなどと比べると人種の多様性に乏しく、家族・学校・企業への帰属意識が重要で、均質的なものからはみ出たものはレッテルを貼られやすい。健常者でも自己の意見を主張する機会や、尊厳・人権について考える機会が少なく、地方部では障害の有無を隠すようなこともあることが、複数の文献に記述がある。
自立を問われず、家族依存度の高い日本では、障害者の社会進出が遅れ、他の人と同じように一人で自由にどこでも行ける権利を主張する動きや、それに対してインフラを整える動きが遅くなる社会体質だったと考えられる。
こうして形成されたバリアフリー問題に影響を受けるのは、障害者だけではない。高齢化が進む中、車いすや杖で移動する人は増えているし、ベビーカーを使う子育て世代にとっても高いハードルになるのだ。
■女性からも「電車内のベビーカー」に冷たい視線
ベビーカー問題は都市部で話題に上ることが多い。コロナで減りつつあるが、朝夕の電車やバスの通勤ラッシュ、女性の社会進出や男性の育児参加の遅れなどが背景にある。
日本は住宅や都市開発とともに人口密度を上げることで民間企業の鉄道事業が成り立ってきた。乗車率が非常に高く、泣く幼い子ども抱いて満員電車に乗れないし、幅をとるベビーカーは折り畳まないと白い目で見られてしまう。
国土交通省の調査では、子育て期を終えた女性が、ベビーカーを押しながら電車で買い物に出かける今の子育て世代に「賛同できない」とする意見もあった。今でも都市部では、通勤時間帯にベビーカーに子どもを乗せて出勤するという雰囲気にない。
公共交通を使う障害者や子育て層のサポートは乗客が手伝うものではなく、乗務員がするものという認識もある。障害者が一人で乗車できるようなインフラが整備されていたら、ベビーカーも移動しやすいだろう。
しかし現実では、既存の建物にエレベーターを後付けしていった駅が多く、どこにエレベーターがあるのか分からない場合や、行きたい出口にない場合はベビーカーを担いで階段を上り下りしなければならない。
■バリアフリー後進国が最初に改善した場所
日本の公共交通機関にはこうした不便な面が多々あるが、少しずつ改善してきてはいる。
約25年前の1998年頃には、東京駅ですらエレベーターがなかったという。当時の鉄道関係者の意識として、駅のバリアフリー化は福祉事業で鉄道事業者が行うものではないとされていた。
公共交通のバリアフリーを推進したのが、2000年の交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)、06年のバリアフリー法、そして改正バリアフリー法などの法整備だ。
バス、タクシー、船、飛行機、建物、道路など全般的にバリアフリーに遅れていた日本は、優先順位をつけてバリアフリー化が進められた。まず着手されたのが鉄道で、1日の利用者数が5000人以上の鉄道駅からバリアフリー化がはじまった。当時はバリアフリーやその費用を負担する意識や仕組みがなく、駅舎のバリアフリー化予算の3分の1を国が、3分の1を地方が負担する仕組みが新たに作られた。
■都市部では少しずつ便利になってきたが…
バリアフリーの対象駅は徐々に拡大されていて、1日の利用者数が5000人以上の駅から3000人以上、さらには2000人以上へと引き下げられていき、鉄道駅のみならず、バス、タクシー、船、飛行機、道路にも広がっていっている。タクシーもユニバーサルデザインの車両が登場し、介助講習を受講することを前提に購入補助をつけている。
ベビーカー問題については、「公共交通機関等におけるベビーカー利用に関する協議会」が設置された2013年ごろを境に、鉄道やバス事業者のサポート体制が徐々に変わってきた。駅構内で階段を使わず、スムーズに移動するための情報をまとめたアプリが登場し、2021年ごろからは駅や駅周辺でベビーカーをシェアリングできる「ベビカル」というサービスも始まっている。
公共交通が発達した都市部ではこのような前向きな変化があるものの、地方部ではバリアフリー化が遅れているのが現状だ。半世紀前からある鉄道駅はエレベーターがなく、反対のホームに行くためには古い階段を上り下りしなければいけないケースは珍しくない。しかも無人駅も増えている。
■バリアの多い地域には人が寄り付かない
車いすなど移動に課題を抱える人にとっては、少しの段差でもすべてがバリアだ。それがあることによって、生活範囲や可能性は大きく縮められてしまい、すなわちそこには住めないことを意味する。障害のある人や高齢者は、バリアフリー化が進んでいない観光地には来てくれないだろう。また、子育てや老後が大変だと思う地域には、若者が住みつかなくなる。
車いす利用者などがストレスなく乗降できるように、公共交通事業者やボランティアなどが連携する体制づくりが大切だ。日本の公共交通は欧州と異なり、数多くの民間事業者で支えられている。そのため車いす利用者は事前に1社1社に連絡しなければいけない状況にある。
ANAやJR東日本、タクシー事業者などが参画している「ユニバーサルMaaS」のように、各事業者が車いす利用者の情報を共有してお互いの負担を減らし、外出を躊躇する人を減らす取組みがもっと広まるべきだろう。
■「バリアフリーが進まない」と批判するのは簡単
時間はかかるがインフラ整備も欠かせない。欧米の鉄道駅では駅員がほとんどおらず、日本のように車両に乗降する車いすのスロープを設置するシーンは少ない。日本も一人で移動できるよう、自動開閉スロープのついた車両開発やバリアフリーの対応の車両購入が進む予算や新たな資金の獲得の仕組みづくりを検討してはどうだろうか。
大切なことは単に「日本はバリアフリーが進んでいないではないか」と批判するのではなく、改善している点は評価することだ。歴史的背景や日本の社会構造を理解しつつ、今後はどう対応していくと良いのか、一人ひとりが考える必要がある。
その際には、移動に困難を抱える人の声が非常に大切になる。「みんながお出かけしているのだから、私も出かけたい」「遠くに旅行に行きたい」。そんな当たり前の気持ちを大切にしてあきらめないでほしい。何が不便と感じているのか、どうすれば改善していけるのか、うまく想像できない人が大部分なので、ぜひ伝えてほしい。
まずは、心理的バリアの存在を知り、困っている人がいたら自然と助け合う。そうすれば、車いすやベビーカーを利用する人が外出に躊躇せずにすむ社会づくりがさらに進んでいくだろう。
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モビリティジャーナリスト
自動車新聞社モビリティビジネス専門誌『LIGARE』初代編集長を経て、2013年に独立。国土交通省の「自転車の活用推進に向けた有識者会議」、「交通政策審議会交通体系分科会第15回地域公共交通部会」、「MaaS関連データ検討会」、SIP第2期自動運転(システムとサービスの拡張)ピアレビュー委員会などの委員を歴任。著書に『60分でわかる! MaaS モビリティ革命』(技術評論社)、編著に『「移動貧困社会」からの脱却』(時事通信社)。
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