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羽生結弦の恩師、北京五輪後に『サウナ行かない?』と誘った“11年前の伏線”
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「練習中の羽生が4回転アクセルを跳ぶ映像を見せてもらったんですが……」
本誌の取材にそう話してくれたのは、都築章一郎さん(84)。羽生結弦(27)を小学校2年生から高校1年生まで指導した、フィギュアスケートのコーチだ。
都築さんは昨年11月、知人を通じて羽生が4回転アクセルを成功した映像を見たのだが、実は……。
「ちゃんと降りていたので、すぐに羽生にメールしたんです、『すごいね!』って。そしたら『ケガをしちゃってNHK杯に出られなくなっちゃった』と返信が来たんですが。
あとから人に聞いたところ、その映像は誰かが合成したものだったそうです。結局、練習でも降りていなかったのでしょう。(世間で)あまりにも騒がれないからおかしいなぁ、羽生が4回転半を成功したら周りも騒ぐだろうに、と思っていたんですよ(笑)」
合成したものだと知ってガッカリしたというが、
「それでも今回のオリンピックで見ることができましたから。転びこそしましたけれど、ISUに認定された。本当に素晴らしかったですね。よくやったと思います」
と、顔をほころばせる。五輪をテレビで観戦しているときは、涙が止まらなかったという。
「年をとると涙もろくなりますね。特に結弦のことになると……。彼が大きなものに挑む姿を見るとね。
だから私は、羽生結弦のストーリーを映画にしてほしいなと思いますね。日本人がスケートを通じて世界に羽ばたき、世界の人々に感動を与えたことを映画化したらいいなと思って(笑)。それは、見る人にとって、ひとつの教本になるんじゃないかなと思うんですね」
■「芸術家になりなさい」と伝えたことが現実に
これほど気にかけていたにもかかわらず、北京五輪前後に都築さんは羽生に連絡をとらなかった。
「過去の2回の五輪のときは、前後にメールを送っていたんですよ。『もう近いから頑張ってください』とか『頑張ったね』『ありがとう』とか、そんな短い言葉です。でも今回は、ただ見守っていたいなという気持ちでした」
個人的な連絡はしていないが、テレビ番組を通じて、師弟の対面はあった。特番(TBS系『北京オリンピック 総集編』)で、羽生へのサプライズメッセージとして都築さんの映像が流れた。
《結弦、ご苦労さまでした》
映像に都築さんが登場すると、
《たこちゃん!》
羽生はそうつぶやいた。怒ると真っ赤になる都築さんを、教え子たちはこう呼んでいたそうだ。
羽生をねぎらい、その挑戦をたたえた都築さんは、
《帰ってゆっくり時間が取れたら、サウナでも行かない?》
これには羽生も笑みがこぼれた。実はこの“サウナ”という言葉にも込められている思い出がーー。
’11年の東日本大震災で仙台のリンクが営業停止したとき、羽生は都築さんが指導する横浜のリンクで練習していた時期がある。
「こんな震災で大変なときにスケートをしていていいんだろうか、と羽生はずいぶん悩んでいました。そのときに、羽生とご両親とお姉さんと私で、一緒にサウナに行って、非常に楽しい時間を過ごしたんです。それでこの間も、『サウナに行かない?』と話したんです」
羽生は23日に開幕する世界選手権に欠場することが、先日スケート連盟から発表された。右足首の捻挫が完治していないためだ。
「彼もいろいろ考えての決断だと思います」
今後については羽生自身が、《フィールドは問わない》《アイスショーなのか競技なのか》と、慎重に言葉を選ぶように話している。
「どちらを選ぶか、結論を出すのに、彼のなかでまた闘いがあるでしょう。私としては、多くの世界のみなさんに“羽生結弦のスケート”を見続けてもらいたいです。
私は、小さいときの羽生に『芸術家になりなさい』と教えたんです。アスリートでありながらも芸術家になるんだよ、と。それが今の羽生ですよね。今、羽生が世界で人気なのは、羽生の芸術的な感性に感銘を受けているからでしょう」
愛弟子へのエールはーー。
「今はとにかく体を休めて、また新たな未来に向けての挑戦をぜひしてもらいたいと思っています。夢に挑戦する姿こそが、彼のドラマですから」
世界を夢中にさせる『羽生結弦物語』はまだまだ終わらないーー。