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髙梨沙羅、スキージャンプ・W杯優勝!「父のコーチ契約解除」「メイク批判」…“悲運の五輪”を乗り越えて
ノルディックスキー・ジャンプの高梨沙羅(25)が2日、リレハンメルで行われたW杯個人第14戦で優勝を果たし、通算62勝目を挙げた。北京五輪の混合団体ではスーツの規定違反で失格となるなど、失意の結果に終わった高梨。五輪直後に掲載した週刊文春2022年2月24日号の記事を公開する。
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「困ったもんだね……。沙羅を信用してますから、不正は全然心配してないんですが。ああいう真面目な人間が責任感と闘う姿を想像すると、私はつらいです」
故郷の北海道上川町で、祖父の島津新平さんは言葉を詰まらせた。
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“三度目の正直”を誓った北京五輪は、4位という結果に
スポーツ紙記者が言う。
「W杯歴代最多の61勝を誇る髙梨沙羅(25)ですが、五輪で結果を残せない。14年のソチでは金確実とされながら4位。18年の平昌では銅でしたが、『金メダルを取る器でないのが分かった』と涙した。“三度目の正直”を誓った北京でも4位。混合団体はスーツの規定違反で1回目のジャンプは失格となり、チームは4位に終わったのです」
小2から地元でジャンプを始めた髙梨。早くから世界を見据えた彼女が中学卒業後の12年4月に進学したのは、インターナショナルスクールだった。
■突如勃発した退学騒動
「『インタビューが英語だからとても緊張する』と言って、英語で答える練習をしたりしました。朝6時前に家を出て、休憩時間も8教科を勉強していて本当に真面目な生徒だった。入学から僅か4カ月後には、高卒認定の試験に合格。本人も『信じられない』と驚いていました」(同校の教頭)
13年7月にクラレと所属契約を結ぶ一方、ソチ後の14年5月に17歳で日体大に“飛び級”入学。父の寛也氏も同大スキー部コーチとして契約を結んだ。
ところが、次の平昌に向けて順風満帆に見えたキャリアに突如、退学騒動が勃発した。日体大の松浪健四郎理事長が振り返る。
■沙羅の入学は取り消せず父とのコーチ契約を解除
「ご両親が日体大出身という縁もあって。ただ2年目からはクラレとは契約せず大学スキー部に所属する約束だったけど、それを反故にされてしまった。彼女の入学は取り消せないから、お父さんとのコーチ契約を(15年夏に)解除した。うちはあくまで学生スポーツをサポートするのであって、プロ選手は認めていませんから。ただ、彼女の人間性は立派だし、学業にも前向きに真摯に取り組んでいました」(髙梨のマネジメントを担当する博報堂は「回答しかねる」と回答)
ソチまではあどけない雰囲気の髙梨だったが、メイク術が話題になるなど大人の女性へと変貌。スポンサー収入は億を超えるとされ、17年には最高級モデルのベンツGクラスを購入した。
「ただ、そうした行動も『彼女のイメージと違う』と否定的に見られたりもしました」(前出・記者)
■メイクに力を入れるのは、競技への“全力スイッチ”
報道陣を横目に俯き、カメラを避けるようなそぶりを見せることもあった。
「実は根暗な性格で『注目されることもカメラも苦手』と。それでも取材に答えるのは女子ジャンプの知名度を高めたいから。メイクに力を入れるのも、競技への“全力スイッチ”を入れるためだそうです」(同前)
そうして挑んだ北京の舞台。個人戦に続き、仲間と挑んだ混合団体では“疑惑の計測”でメダルを阻まれた。祖父の島津さんは愛孫を思いやる。
「これからもジャンプを続けてほしいけど、本人次第です。どちらにしても、早く傷が癒えれば……」
ジャンプでは有利な“向かい風”が、人生の大きな飛躍に繋がると信じたい。