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【衣・食・住】ホームレスも変わらない!
■都内のホームレスが飯に困ることはほぼない
「正直、今300円を手に入れたら、僕は飯ではなく間違いなく冷たい飲み物とアイスクリームを買う」
私が都庁下の路上で寝ていたとき、となりで一緒に暮らしていたホームレスの黒綿棒(筆者が付けたあだ名)が口にした言葉である。ホームレス生活を始める前にこの言葉を聞いたとしたら、私は心底驚いただろう。しかし今は「そりゃそうだ、飯なんて誰が買うか」とまで思う。
新宿、渋谷、池袋、上野、山谷など都内のいくつかの地域では炊き出しが連日のように行われている。黒綿棒が作成した「炊き出し最強マップ」なるものを見てみると、東京23区東部では週に32回、西部に至っては週に37回の炊き出しの予定が記されていた。コロナ禍により休止または中止となっているものもあり、そのすべてが開催されているわけではないが、逆にコロナ禍により炊き出しの回数を増やした団体もあれば、新しく炊き出しを始めた団体もある。
さらに、「炊き出し最強マップ」には記載されていないゲリラ的な炊き出しもあれば、不憫に思った一般人が食料を差し入れしてくれることも想像以上に多い。食料が余ってしまったのでほかのホームレスに分けようとするも、「俺だって腹いっぱいなんだよ」と断られてしまうことが何度もあった。都内においては、ホームレスが飯に困るなんてことはほぼないと言っても過言ではないのだ。
■90%以上は「冬より夏のほうがつらい」と話す
私もホームレス生活を始める前は、ホームレスというのはゴミをあさったり空き缶を拾ったりしなければ餓死してしまうものだという先入観があった。そういったホームレスをこれまでに見たことがあるからだ。では、なぜ彼らはそういった生活をせざるを得ないのだろうか。
取材記者がホームレスに聞いたところで「うるせえ、あっち行け」としかならないだろうが、同じホームレスとして話をすると案外本音を話してくれる。空き缶拾いで生活費を稼いでいるホームレスは「人の施しを受けるなんて俺にはできないから炊き出しは絶対に行かない」と話した。ホームレスの集落を避けるようにポツンとひとりで暮らすホームレスは「他人がいるところでは暮らしたくない」と話した。生きていくだけの飯を確保するぶんには、ゴミをあさる必要もなければ空き缶を拾う必要もないのだ。
こういった信念を持っているホームレスにはある種の宗教を感じた。教祖も信者も自分ひとりだ。いくらボランティアが働きかけたところで施しは受けないし、ましてや生活保護なんて受けるわけがない。今では聞き慣れた「発達障害」に該当するのであろう人は非常に多かったが、50代、60代の彼らの中に「発達障害」という概念などない。
私たちが思い描いているような過酷な日常を送っているホームレスは全体からすると一部だ。冬はボランティア団体がかなり質のいい寝袋と毛布を毎シーズン配ってくれるので「まず凍死などしない」という。自分が聞き回った限りでは、実に90%以上のホームレスが「冬より夏のほうがつらい」と話した。過酷な生活をしているホームレスはかなり目立つので自然と私たちの印象に残るのである。
■パン耳を拾いにゴミ捨て場に通う
都庁下で私のとなりに暮らしていたホームレスの黒綿棒は統合失調症のような言動をしていた。日本の公安警察と米国の連邦警察に24時間監視・盗聴をされ、Mr.Childrenや尾田栄一郎の作品に触れるたびに「彼らは僕の脳からアイデアを抜き取っている」と本気で思い込んでいた。
黒綿棒は無政府主義を掲げているので生活保護は死んでも受けないという。そして、「僕はキリストを神だと思っていないので」との理由から、キリスト教の炊き出しを忌み嫌っていた。だが、黒綿棒はかなりの大食漢なので飯に困ることが多い。そんなとき多用しているのが、新宿三丁目のカフェのゴミ捨て場だ。ここには、サンドイッチを作るために切り落としたパンの耳が毎日ポリバケツいっぱいに捨てられている。
「この場所は人に教えていないのだから、パシャパシャと写真を撮るのは止めてくれないかな。それと、素手で取らないこと。ほら、パン耳が落ちたからちゃんと拾わないと」
どうしても記録に残しておきたく、スマホで写真を撮ろうとすると怒られてしまった。パン耳を落としたままにしてしまうとネズミがやってきて荒らしてしまう。そうなると、カフェの店員も外にパン耳を出さなくなってしまうかもしれない。ほかのホームレスが行儀よくパン耳を回収するとは思えないため秘密にしているのだ。その代わりに回収した大量のパン耳は周辺のホームレスたちに配って歩くのだが、「俺はいらないよ」と断られてしまうこともあった。
■授乳室のお湯なら、おいしいカップ麺が作れる
ある日、通行人が僕らにカップ麺を差し入れしてくれたことがあった。「お湯は自分でどうにかしてください」ということなので、私は近くのコンビニでしれっとポットのお湯を使わせてもらった。しかし黒綿棒は「商品を買わないと使ってはいけないと書いてあるのだから、ダメなものはダメなんだ」とかたくなにコンビニへは行こうとしない。
ルールに異常に忠実なところも「発達障害的」だ。ではお湯はどうするのか。黒綿棒いわく、以下の方法を使っているという。
「水でも食べられないことはないけども非常にまずい。ビルのトイレに行けば36度くらいのお湯は出るけども3分後にはほぼ水になっている。ホームレスの間で人気なのはトイレとかに併設されている授乳室かな」
授乳室では粉ミルクを溶かすためのお湯が出る。温度は60度ほどで、ギリギリうまいカップ麺が作れるという。連日のようにコンビニのお湯を拝借して顔を覚えられてしまうのを防ぐため、同じ方法をとるホームレスは結構いるらしい。黒綿棒の行きつけの授乳室は都庁下から歩いて20分ほどの「バスタ新宿」。3分たったらそのまま授乳室でカップ麺をすすり、冬は足を洗っているホームレスもいるという。衛生的にはどう考えても大問題である。
■「代々木公園に並べられた一斗缶」に入っているもの
炊き出しというのは基本的に土日に集中している。そのため土日に余った食料は備蓄しておき、炊き出しの手薄な平日に回すことになるのだが、無計画な黒綿棒はその日のうちにすべて食べ尽くしてしまう。パン耳だけではどうしても飽きが来るし、毎日のようにカップ麺をくれる通行人がいるわけでもない。
そこで、飯に困った際の最終手段として存在しているのが、代々木公園の一斗缶である。同公園のとある場所に、大量の一斗缶が並べられている一角がある。ある日、不思議に思った黒綿棒が試しにふたを開けてみると、そこには災害時用のビスケットやアルファ化米などの保存食が詰め込まれていた。黒綿棒が周辺のホームレスに聞いたところ、食べたいものがあったら持っていって構わないのだという。それ以来、一斗缶にお世話になっている黒綿棒が話す。
「主にキリスト教系の団体が僕らのために食料を入れておいてくれるのだけど、ホームレスが手元に余ってしまった食料を入れる場所にもなっているんだ。そして、僕みたいに飯に困ったホームレスが適宜もらっていくというシステムになっている」
「それはキリスト教の施しを受けていることにならないか?」という言葉が喉まで出掛かったが、やぼなことは言うまいと飲み込んだ。しかし公園客からするとただの廃棄物にしか見えない一斗缶が、ホームレスにとってはこれだけ意味のあるモノなのだ。ホームレス社会というものは私たちが暮らすこの社会とは異なるレイヤーにあることを思い知らされたのである。
■「他人を詮索してはいけない」という暗黙のルール
過酷な生活を強いられているホームレスの中には、本人の信念うんぬんではなく、単にホームレス社会に流布しているセーフティーネットの情報にアクセスできていないという人もいた。アクセスといってもスマホを持っているか否かの話ではない。持っていないホームレスのほうが圧倒的に多い。
私が荒川河川敷にテントを立てて暮らしていたとき、となりの空き物件(建設した本人はどこかへ行ってしまった小屋)に67歳の男性が住んでいた。彼は20年前に妻を乳がんで亡くして以来、無気力状態になってしまい、2021年2月にホームレスとなった。
他人と話すことを極度に怖がり、小屋から一歩も出ようとしない。ホームレスになってしばらくたつというのに、日本で炊き出しが行われていることすら認識していなかった。生活保護に関しては、「生活保護を受けるのにもお金がかかるんですよね?」といったレベルの知識だった。ホームレスであると同時に引きこもりでもあると言ってもいいだろう。
たった2カ月で私はホームレスとして生きていく知識を付けた一方で、なぜ彼は何も知らないのか。それは、ホームレス社会全体になんとなく存在している「他人を詮索してはいけない」という暗黙のルールのせいだと考えられる。
■「お前みたいによく話すやつは珍しいよ」
私はホームレス生活中、関わるホームレスたちに「お前みたいによく話すやつは珍しいよ」と何度も言われた。取材ということは誰にも伝えていなかったが、本を書くことは決まっていたので、私はとにかくいろんなホームレスに話しかけまくった。相手のこれまでの人生に耳を傾け根掘り葉掘り聞いた。その過程でいろんなホームレスと仲良くなった。
中には「なんでそんなことまで聞くんだ」と離れていく人もいたが、「ホームレスとここまで話したのは初めてだ」と、自らの過去を喜んで語ってくれるホームレスも多かった。必然的に相手との関係は深いものになり、人には話していないとっておきの情報まで教えてくれるようになるのだ。しかし、そんな行動を躊躇なく取ることができたのは、私のホームレス生活が2カ月という期限付きのものであったからだと思う。
東京都福祉保健局の調査によれば、令和3年1月時点での東京都の路上生活者数は862人。ちょうど高校1つぶんくらいの規模感である。炊き出しに行けばいつも同じ顔ぶれで、「○○さんは先月、生活保護に移行したらしい」とすぐにうわさになるほどに狭い社会である。そんな場所で毎日あれこれと聞きまわっていたら、いつかトラブルになるかもしれないし、「根掘り葉掘り聞いてくるやつ」というレッテルを貼られ、避けられてしまうかもしれない。
どこの高校にも「関わると面倒くさいやつ」とうわさになり、孤立している生徒は1人くらいいるんじゃないだろうか。高校生の場合は転校すればなんとかなるが、ホームレス社会にいられなくなった場合、次に行く場所はないのだ。
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國友 公司(くにとも・こうじ)
ライター
1992年生まれ。筑波大学芸術専門学群在学中よりライター活動を始める。キナ臭いアルバイトと東南アジアでの沈没に時間を費やし7年間かけて大学を卒業。編集者を志すも就職活動をわずか3社で放り投げ、そのままフリーライターに。元ヤクザ、覚せい剤中毒者、殺人犯、生活保護受給者など、訳アリな人々との現地での交流を綴った著書『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、2018年の単行本刊行以来、文庫版も合わせて6万部を超えるロングセラーとなっている。
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