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(出典:ABEMA TIMES) |
セイン・カミュ(Thane Camus, 1970年11月27日 – )は、日本を拠点に活動するアメリカ人のタレント。アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。身長185cm、既婚。 生後まもなく実父と別れ、実母は後に日本人男性と再婚。母の再婚相手の仕事の都合で、世界各国を転々とする。家庭の事情により、滞
17キロバイト (1,951 語) – 2021年12月24日 (金) 10:33
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週刊女性PRIME
セイン・カミュ『からくりTV』共演の「ボビーがすごく嫌いだった」自分を救った“さんまの言葉”
現在はテレビやYouTubeに出ながら、障がい者自立推進機構の理事も。オフは農作業にも精を出しつつ、人のためになることをやりたいと語る(セイン・カミュ)
セイン・カミュの「イングリッシュ・プリーズ!」というフレーズが人気となったのは、TBS系『さんまのSUPERからくりTV』内の『ファニエストイングリッシュ』というコーナーだった。
「最初は英単語を書いたボードを持って街を歩き、僕はまったく日本語がわからないという設定でした。何回かやった後、ディレクターに“ちょっとは日本語がわかることにしませんか”って提案。そうして“イングリッシュ・プリーズ!”が生まれたんです」
当初は出会った日本人に英語を話してもらう企画だったが、ネタが尽きて……。
「街角でおじちゃんに“日本人は英語がしゃべれないってバカにしてるけど、外国人だって日本語をしゃべれないやつが多いだろ”って言われまして。それでディレクターに“外国人版はどうですか?”って話したら即採用。“外国人に日本語を聞こう”ということでできたのが『ファニエストジャパニーズ』です」
ボビーとアドゴニーとエリックが参加して珍回答を連発。その後、セイン率いるメンバーに日本の職場体験をしてもらう『ファニエスト外語学院』が始まると人気は頂点となり、セインはいわゆる“外タレ枠”の中心的存在に。特に、ボケ役のボビーとは、セインが鋭くツッコミを入れる名コンビになった。
「けっこう強くひっぱたいてましたけど“見ていて嫌悪感がない”って言われました。外国人同士でやっているから、安心して見られるって。日本人相手だと、バカにしているように見えたようですね」
相性がいいように見えたが、衝突もあったという。
ボビー・オロゴンに「コイツだけは辞めさせてください!」
「ボビーは初め、すごく嫌いでした。ふざけてばっかりで。ボク、こう見えて根がまじめだから(笑)。ボビーが面白かったのは耳で聞こえたのを、そのまま言ってることだったんだけど、彼は頭がいいから、だんだん“こう言うと面白い”ってわかってくる。それでボクを怒らせようと、ワザとふざけたことを言うからディレクターに“コイツだけは辞めさせてください!”って言うくらい、やりづらくって。すごく苦手でした」
しかし、司会の明石家さんまは面白がり、視聴者からも支持される。
「さんまさんが“セイン、そんなに怒らんでもええんちゃうの〜”って言っていて。オンエアを見て衝撃を受けました。“そうか、バラエティーなんだし、すごく怒っている自分、ヒドいな。みんなを楽しませなきゃ”って。さんまさんのひと言のおかげで、ちょっとずつ修正していって。イライラはするんですけど、少しずつ少しずつ……そうしたら気づいたんです。ボビーはボクを怒らせることによって、面白さが引き出されている。コイツはそれを狙ってやっていたのか!って」
噛み合わない2人のやりとりが面白がられていたのだ。
「“カッチーン!”とくるけれど、その裏では“ありがとね”って気持ちがありました。お互いのよいところを引き出しているのかなって。そこまでに2、3年はかかりましたよ。それで家族ぐるみで仲よくなりました。あと、アドゴニーとエリックもいてくれたのは助かった。ボビーだけだったら、きつかったから(笑)」
『からくりTV』からは多くのことを学び、その後の芸能生活に生かすことができた。もともと、セインは日本のタレントになりたかったわけではない。
「日本で育ち、ハリウッドを目指して入ったニューヨークの大学は演劇専攻。休学して日本に戻ってきたときに友達が働いていた芸能事務所に遊びに行ったら“マネージャーやらない?”って誘われました。裏方をしながら自分もタレントとして出るっていう、一石二鳥的な形。通訳もいらないことになりますから、すごく使いやすい人ですよね(笑)」
※全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/6327decddb8318e2b52fbe4114aa781d63c7ea06