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8割以上の日本人が待望する“愛子天皇” それでも“男系の天皇”を守るために慎重になる必要がある理由
2月23日に62歳の誕生日を迎えられた天皇陛下。昨年には愛娘・愛子さまが成人し、3月には初めての記者会見を予定しているなど、天皇家の存在感は日々高まっている。
新聞などの世論調査では、愛子さまを次期天皇にと期待する人の割合が8割以上にのぼるが、女性天皇・女系天皇についての法的な議論が進んでいる様子はない。なぜ国民の多くが“愛子天皇”を支持しても、日本の制度は変わらないのか。『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)などの著書があるつげのり子氏に話を聞いた。
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昨年12月1日、愛子さまが20歳のお誕生日を迎えられました。元日の「新年祝賀の儀」で初の公務にも臨まれ、諸外国の大使などに堂々と対応されました。
その凛々しい姿に、「愛子さまを天皇に」と推す世論も強まっているようです。2021年4月の共同通信による意識調査では「女性天皇」に賛成する回答が87%を占めたと報じられました。この高い支持率は、幼かった愛子さまが両陛下の愛情のもとで成長される様子を多くの国民が見守ってきたことの証左と言えるでしょう。
「仮定の話になりますが…」
「女性天皇」を認める声は政治家からも挙がっています。昨年自民党の総裁選に立候補した高市早苗政調会長は「文藝春秋」2022年1月号で、女系天皇には反対だが女性天皇は容認するという考えを示しました。しかし、女性天皇を認めることは女系天皇への道を開く可能性が高く、切り離して考えることは現実的ではありません。
現在の皇位継承の順位は、秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまの順になっています。仮に高い国民の支持を理由に女性天皇を認めた場合、今上陛下の次の皇位には愛子さまがつかれる可能性も出てきます。
もしも将来、女性天皇として愛子さまが即位された場合、そのとき問題となるのは、愛子さまが既に結婚されているかどうかです。
もし即位された時点で独身だったとすれば、愛子さまが結婚するハードルはかなり高くなります。小室圭さんと眞子さんの結婚を巡って大変な騒ぎが起きましたが、天皇のお相手となれば求められる“品格”は桁違いです。歴史上8人いた女性天皇は全員が即位された時点で独身で(死別を含む)、その後生涯独身を貫いています。
女性天皇の即位の背景には、皇位継承者である直系の皇子があまりにも幼く、成長するまでの一時しのぎ、あるいは力を持つ貴族へのけん制のため、一旦中立の女性天皇を頂戴したというのが真相です。
したがって長くその地位にあるわけではないため、女性天皇から新たな血筋が生まれることで後の皇位継承を複雑にしないよう、結婚しないことが不文律となっていました。
仮に天皇となった愛子さまが結婚されて、子どもがお生まれになったとします。そのお子さまは、これまでの愛子さまのように国民に見守られて成長することになるでしょう。そうなれば、天皇である愛子さまのお子さまが皇位を継げないことに釈然としない人も増え、今の愛子さまのように、国民からぜひ天皇にという声が上がる可能性も大いにあります。もしも愛子さまのお子さまが世論の後押しによって天皇となれば、歴史上初めての女系天皇の誕生となります。つまり女性天皇の容認は、女系天皇の容認する可能性とつながっているのです。
ではそもそも、「男系天皇」はなぜ重要なのでしょうか。そのキーワードとして天皇の“純粋性”を挙げたいと思います。
天皇は万世一系であり、長きにわたって男系で血筋をつないできました。女性天皇も、男系天皇の娘です。父方の血筋をたどれば、初代神武天皇まで真っ直ぐに遡れるとも言われています。
この純粋な血筋によって天皇は日本人にとって時代を超えた唯一無二の存在となりました。江戸時代までは御簾の向こうの存在であり、明治以降、公の場に姿を現すようになってからも直視してはいけない“現人神”として神格化されてきました。現代の天皇は神格化された存在ではありませんが、この“純粋性”を求める気持ちは国民の中に今も息づいているはずです。
神道では女性は“穢れている”とみなされる部分がある
男系と女系に差をつける考え方は、ジェンダー平等が広まった現代においては時代錯誤だという意見もあるでしょう。しかし、いまも古式に則って宮中祭祀を粛々と行っている皇室では、神道における宗教観が強く影響しているのです。
日本書紀に登場する「国産み」では、妻のイザナミが亡くなり「黄泉の国」へ旅立ちますが、寂しく思った夫のイザナギが現世に帰って欲しいと訪ねてきます。ところがイザナミはすでに醜く腐り果て、その姿にイザナギはショックを受けてしまいます。
また神道では 血 を “穢れ(けがれ)”の象徴として考えていました。女性は経血や出産で血を流すことから、神話のイザナミのエピソードとともに、女性は 穢れているものとされたのです。
2017年世界遺産に登録された九州の“神宿る島”沖ノ島(宗像大社の沖津宮がある)は、女性の上陸が厳しく禁じられています。女性に対する“穢れ”の意識は少なからず今も残っています。
その後も歴史を紐解けば、日本人は男系天皇を維持することに凄まじい執念を発揮してきました。たとえば江戸時代後期、22歳の若さで崩御した後桃園天皇の跡継ぎには、かなり遠い傍系の閑院宮家から後の光格天皇を先帝の養子として迎えています。後桃園天皇には一人娘の欣子内親王がいましたが、何代も遡ってまで男系の血筋にこだわったのです。
そんな紆余曲折がありながら男系の血筋をなんとかつないできたことの重みを考えれば、直系の悠仁さまがいらっしゃる以上、議論を急ぐべきではないという考えは自然なものだと思います。
女性天皇、女系天皇についての議論では、エリザベス2世が女王として君臨するイギリス王室が引き合いに出されることも多いようです。女王エリザベス2世は1952年に即位してから95歳の現在に至るまで実に70年も在位しており、国民からもおおいに支持されています。しかし、日本とイギリスでは、歴史が全く違うのです。
イギリス王室も長い歴史を持ちますが、ヨーロッパの歴史は武力で互いの領土を侵略しあうものでした。イギリス内部もスコットランドやウェールズなど4つの国に分かれていた上に、隣国フランスと長らく戦争を繰り広げ……と支配したりされたりの連続でした。血みどろの歴史の中では王位の空白は、隙あらば王位を簒奪しようと狙う野心家の有力領主や他国がつけいる絶好の機会となります。そこで領土や王朝を守り権力を保つことを最優先するため、王位をとにかく血筋の近い身内に譲ることが肝要でした。男子に限らず娘に受け継ぐ、あるいは女系に受け継ぐという事例が12世紀頃には既に見られます。
一方、日本は江戸時代末期の1853年にペリーが黒船に乗ってやってくる以前、海外から明確な攻撃を受けたのは1200年代の元寇が最後。500年以上も外部から攻撃されずにいたために、ひとつの国に“万世一系”という純粋性を守ることができたのです。
日本の皇室は“俗”とは対極
もうひとつ、イギリスを含む海外の王室と日本の皇室は、国民の幸せを願ったり、国の発展を祈ったりするところは同じなのですが、国民から求められる役割は少し違っています。
たとえば映画などの中で、イギリス国王がお城のバルコニーでスピーチをしたり、広場に現れた女王のオーラに民衆が沸き上がるシーンを見たことがあるかと思います。現代の報道などを見ても、海外の王室は“世俗的”であるという感覚があります。ゴシップ誌などに頻繁に取り上げられ、国民もそれを話題にしたり、SNSでプライベートを発信したりと庶民と何ら変わらぬ価値観を持っているような印象すらあります。
翻って日本の皇室は、“俗”という言葉とは対極にある存在ではないでしょうか。公の場では静かに笑顔で手を振り、市民が大騒ぎすることもあまりありません。その代わり、災害が起きたときにはそっと被災者に声をかけて励ます。国民にとっての精神的な支柱、心の拠り所という側面が大きいように思います。皇室の“純粋性”は、その聖性の1つの要素になっていると言えるのではでしょうか。
天皇陛下のお誕生日は、日本中が祝賀ムードに包まれることでしょう。そして愛子さまが国民から敬愛され、ご成長を見守られてきたのは、皇室の現在の姿が肯定的に広く受け入れられていることの証でもあります。
しかし直近の感情だけに流されず、皇室の歴史や役割をしっかり踏まえて男系という純粋性の重要さをあらためて意識する人が増えることを願っています。
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