『五輪で金メダルを獲りたい』1500万円を借金して練習場を…平野歩夢を支援した篤志家が金メダルに歓喜「大谷選手と歩夢には共通する部分がある」

『五輪で金メダルを獲りたい』1500万円を借金して練習場を…平野歩夢を支援した篤志家が金メダルに歓喜「大谷選手と歩夢には共通する部分がある」

『五輪で金メダルを獲りたい』1500万円を借金して練習場を…平野歩夢を支援した篤志家が金メダルに歓喜「大谷選手と歩夢には共通する部分がある」

1: 名無しさん@恐縮です 2022/02/19(土) 10:30:48.63 ID:CAP_USER9
2/19(土) 8:01
SmartFLASH

1500万円を借金して練習場を…平野歩夢を支援した篤志家が金メダルに歓喜「今思えば、大谷翔平選手と同じ努力を」
2014年3月13日、ソチ五輪後に会津高原南郷スキー場を訪れた平野歩夢と酒井さん
「難度の高い4回転を3つ入れたルーティンをしていたので、『おかしいな』とは思った。イライラというか、怒りが収まらないまま3本目を迎えたけれど、怒りとともに集中できていた」

 2月11日におこなわれた男子ハーフパイプ決勝、平野歩夢(23)の2回めの演技は意外な低評価で2位となり、世界中が得点の低さに「?」をつけた。

 冒頭の言葉どおり、平野は怒りを闘志に変え、3回めは同じルーティンをさらに高いエアと4回転の大技3つを決め、史上最高難度で逆転。冬季五輪2大会連続で銀メダルを獲得した平野は、ついに念願の金にたどり着いた。

 そんな平野がスノーボードを始めたのは4歳のとき。3歳上の長兄・英樹の影響によるものだった。平野が小学校時代に通った福島県の会津高原南郷スキー場支配人の星秀則さん(60)が振り返る。

「平野選手がウチのスキー場に来たのは、たしか彼が小学校3年生のころだったと思います。スキー場の関係者から『すごい小学生がハーフパイプの練習をしているから、見に来て』と言われて行ったんです。

 第一印象は『小3にしては小さいな、こんな小さい子がやっても大丈夫なのかな?』ということでした。なにしろ大人と混じっていると、姿が見えなくなるほどでしたから(笑)」

 ところが、その滑りを見ると……。

「エッ!? と驚きましたね。誰よりも小さいのに、誰よりも高く、クルクルと飛ぶんですよ。大人よりもね。当時は小学生がパイプに入ることも珍しかったので、とにかく驚きました。文句なしでうまくてね。

 でも、将来、金メダリストになるなんてことは当時、想像もできませんでした。いま思うと、金メダリストになる子は、幼少期から何か光るものを持っているんだな、と感じます」

 そして、練習の舞台となった同スキー場のハーフパイプを作り上げたのが、建設会社を経営していた酒井喜憲さん(75)だった。酒井さんはいまから25年ほど前、自腹でパワーショベルを2機(計1500万円相当)購入してハーフパイプを作り上げた。酒井さんが語る。

「歩夢がまだ生まれていない25年前といえば、ハーフパイプは山形県の横根スキー場に1つあるくらいでした。でも、会津高原南郷スキー場にも子供のスノーボーダーはいたんです。ハーフパイプがないから、みんな手作りで飛んでいましたよ。

 で、彼らに話を聞くと、口をそろえて『将来は五輪に出て金メダルを獲りたい』と。これは何とかしてあげなければいけないと思い、自分で作る決心をしたわけです。横根スキー場にも見学に行き、それを手本にして関係者からも作り方を教えてもらいました」

 借金をしてまでパワーショベルを購入した。すべては子供たちの夢を叶えてあげるためだった。

 そして平野は小3のとき、同スキー場を訪れた。酒井さんは平野の一生懸命な姿に胸を打たれ、シーズン中は、兄・英樹とともに平野を自宅に迎え入れ、スキー場への送迎も請け負った。

「歩夢はものすごく根性のある子供だった。負けん気も強かった。スキー場ですから、吹雪など悪天候の日もあります。でも歩夢は天候なんて関係なく、どんな日も自分で決めた練習をこなしていました。毎日ですよ。こんな小学生は、なかなかいないでしょう。小5のときには、すでにプロになることを目標に定め、努力し続けていた。

※全文はソースで
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220219-00010003-flash-000-2-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/028beaca0b69e8831bd10efb391ceda29a3c0e54



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