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今日2月19日は『プロレスの日』
の日本人が反米感情を募らせていた背景から、力道山が外国人レスラーを空手チョップで痛快になぎ倒す姿は街頭テレビを見る群集の心を大いに掴み、プロ野球、大相撲と並び国民的な人気を獲得した。 その後、日本においては力道山の率いる日本プロレスの独占市場であったが、力道山の死去後、東京プロレスと国際プロレス
185キロバイト (27,612 語) – 2022年2月17日 (木) 09:34
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1954年(昭和29年)2月19日、日本初のプロレスの本格的な国際試合が東京・蔵前国技館で開催された。
力道山(りきどうざん、1924~1963年)が柔道出身の木村政彦(きむら まさひこ、1917~1993年)と組んで、カナダ出身でアメリカから来日したシャープ兄弟とのNWA世界タッグ戦であった。
日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群集が押し寄せたという。 シャープ兄弟は、初来日の際に5回対戦し、王座を保持したまま帰国した。
力道山は、大相撲の力士出身で、身長176cm、体重116kg。外国人レスラーを空手チョップで次々と倒す姿に人気が集まった。
素行の面で色々と問題はあったが、日本のプロレス界の礎を築いた最大の功労者であり、「日本プロレス界の父」と呼ばれる