【考古学】「神の手」にだまされた研究者、「お前はグルかバカか」迫られた問い…ゆがめられた旧石器時代

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【考古学】「神の手」にだまされた研究者、「お前はグルかバカか」迫られた問い…ゆがめられた旧石器時代

1: ごまカンパチ ★ 2022/02/16(水) 18:09:45.59 ID:t5OvWlGf9
■偽りの出土「都合よかった」…「日本原人」の痕跡 探して今も掘る
「後から埋めた?」「そんなことできるか?」
忘れもしない、2000年11月5日の未明のこと。北海道新十津川町の〈旧石器時代遺跡〉の発掘責任者だった長崎潤一さん(61)=当時39歳=は、関係者からの一報を受けて、
電話口でぼう然と繰り返した。

「日本原人」の存在を印象づける歴史的な大発見として発表した数々の石器は、「神の手」を持つとされた1人のアマチュア研究家が埋めたニセ物だった。
遺跡が、ねつ造されていた。

日本の考古学界を根底から揺るがしたあの〈事件〉から20年余り。
なぜ、自分はだまされたのか。本当に、見抜くチャンスはなかったのか。渦中にいた本人である長崎さんは考え続け、後進の人々に伝え続けている。

■ただの丘で 共同調査初日 「出たぞーっ」
「出たぞーっ!」
後から考えればおかしな点だらけなのであるが、あの時は、「すごいことだ」と札幌国際大学の助教授だった長崎潤一さん(61)は高揚感でいっぱいだった。

1998年7月3日。北海道ではまだ見つかっていなかった「旧石器時代の前期・中期」の遺跡を探そうと、民間団体「東北旧石器文化研究所」(2004年解散)に所属していた
藤村新一氏を招いた初日のことだ。
その日、長崎さんは藤村氏を空港に迎えに行ったその足で、学生らと道内の複数の地点を案内した。
夕方、新十津川町総進にある「不動坂」近くの崖を皆で削っていると、少し離れた所で藤村氏が声を上げた。
見ると、旧石器時代の中期にあたる4万年以上前の地層から石器が出ていた。
「ええーっ、僕がいくら探しても出なかったのに」

帰路の車のハンドルを握る長崎さんの手は震えていた。
北海道に赴任して5年。30歳代だった長崎さんは週末のたびに古そうな地層を探したが、一向に成果は出ない。
そこで、すでに本州で多くの石器を掘り出して「神の手」と呼ばれ、尊敬していた藤村氏に協力を依頼したのだった。

長崎さんが責任者となって本格的な発掘が始まり、2000年までに40点以上の石器が見つかった。
中には旧石器時代の前期にあたる「20万年以上前のもの」も出土。何の変哲もなかった丘は、〈総進不動坂遺跡〉となり、考古学上の大発見となった。

なぜ、旧石器時代の前期・中期がそんなに重大なのか。
「それは、日本に、我々のようなホモ・サピエンスとは違う、『旧人』や『原人』がいたかどうかということ。単に石器の問題ではないのです」と、長崎さんは言う。
日本では、1940年代後半に相沢忠洋(1926~89年)が、群馬県の岩宿遺跡(約3万5000年前)を発見したことで、土器を使っていた縄文時代より前の
「旧石器時代の後期」があったことは分かっていた。

後期であれば、ホモ・サピエンスの時代だ。
しかしもし、もっと古い「中期(4万年以上前)」や、さらに20万年、あるいは30万年以上前の「前期」が存在したとなれば、日本にも旧人や原人がいたことになる。
「人類のストーリー」が全く違ってくるわけだ。

「岩宿発見」を機に、考古学者らが様々な発掘を試みる中で、彗星(すいせい)のように登場したのが藤村氏だった。
1970年代から90年代にかけて、藤村氏は東北地方の「座散乱木(ざざらぎ)」「馬場壇(ばばだん)」などで次々と〈中期・前期〉の石器を発掘。
座散乱木遺跡にいたっては、国の史跡にも指定された(後に指定解除)。
そういう流れがあって、新進の研究者だった長崎さんは「北海道でも古い石器を見つけたい」と切望していた。

実は98年に総進不動坂で藤村氏が最初に掘り出した石器について、研究仲間だった北海道今金町の学芸員(当時)、寺崎康史さん(62)からは
「この変色、鉄サビっぽいけど、浅い土中の石器じゃないの?」と言われていた。
クワなど後世の鉄製器具の接触で石器に鉄分が付いたのではないか、もしそうなら、旧石器時代のような深い地層から出土するのはおかしい――という指摘だ。
鉄製器具で付いた鉄サビかどうかは、顕微鏡で見ればわかる。しかし、長崎さんは気にとめず、確認しなかった。
「イケイケどんどんだった」。結果、だまされた。

ヤフーニュース(読売新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00


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