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イニエスタが語る、ニッポンへの愛。いつかは日本代表監督「イニエスタ・ジャパン」を夢見て
アンドレス・イニエスタが愛する日本について語った
Jリーグ開幕2022特集
FCバルセロナを9度のラ・リーガ優勝、4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝、FIFAワールドカップ制覇など35のタイトル獲得に導き、スペイン代表としては自らのゴールで2010年ワールドカップ優勝を飾ったアンドレス・イニエスタ。
だが、スーパースターにも”その日”は確実に近づいていた。
※『イニエスタ・ジャパン! 日本に学んだ 人生で大切なこと』(ぴあ刊)から
「私自身、パフォーマンスを落としているという感覚はありませんでした。体力や技術はもちろん、熱意も、努力も、何ひとつ衰えてはいませんでした。
私はバルサのためにサッカー選手として、人間として、常に最善を尽くさなければならず、全力でそうしてきました。しかし、私には近いうちにそれができなくなるであろうことがわかっていました。
ベストを尽くせない者は、バルサにいるべきではない。チームメイトの役に立ち、タイトルを獲得し続ける戦力でなければ、チームに残るべきではない。『もう私の時代は終った』と感じていたのです」
イニエスタはチームを円満に去ることに全力を傾けながらも、ほかのヨーロッパチームに移籍してバルサと対戦することだけは絶対にしたくないと固く決めていた。そんな時に突然、ヴィッセル神戸の三木谷浩史オーナーからオファーが届いた。
「日本へ来て、ぜひプレーしてほしい。あなたがヴィッセルのユニフォームを着てプレーする姿が見たいのです。一緒にプロジェクトをはじめ、クラブの新しい未来を築いてください」
日本? 神戸?
イニエスタにはまったくイメージできない地名だったが、三木谷の熱さは伝わっていた。
「どんな条件のいいオファーよりも、クラブを率いるトップの確固たる信念や行動力、気配りに価値があることがあります。彼らのビジョンが私の頭の中にスーッと溶けていきました。ヴィッセルを日本の、そしてアジアのビッグチームに育て、さらには世界的なインパクトを与えられるクラブにするプロジェクト。私は子どものようにワクワクしました」
【キャプテン翼に憧れた幼少期】
三木谷と話していると、イニエスタの脳裏に子どもの頃の思い出が蘇ってきた。
スペインのラ・マンチャ州にある、人口わずか2000人あまりのフエンテアルビージャ。イニエスタは小さな田舎町で古ぼけた小さなテレビにかじりつき、『キャプテン翼』に心躍らせながら日本を旅していたのだ。
「エンドラインなどなきがごとく、無限に広がるピッチで必死にボール追いかけていたオリベルを観るために、私は日本に”いた”のです」
(※アニメ『キャプテン翼』はスペインでは『OLIVER y BENJI』というタイトルで放送され、大空翼はオリベル・アトムという名前になっている)
イニエスタは、日本行きを決断した。
「私を日本へ引っ張ってきたのは、『キャプテン翼』の主人公・翼だと言っても間違いないでしょう」
人生2度目の旅立ちだった。最初は12歳、故郷から500キロも離れたバルセロナへ、FCバルセロナの育成組織「ラ・マシア」に入団するため。そして、2度目は地球の裏側へ、ヴィッセル神戸に入団するため。
2018年5月、来日したイニエスタは大きな驚きに包まれた。
「自分には想像もできなかったほどの愛情とリスペクトを込めて、みなさんが私を迎えてくれたのです。ヴィッセル神戸のみなさんをはじめ、日本中のサッカーファンが温かく迎えてくれたことに、私は感動しました。まるで、自分の家に戻ってきたようでした。みなさんが扉を大きく開いて、私を優しく迎えてくれました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4aabdfff13287d5b380b9e7bea3afb810a371ebe