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「それを言っちゃあ、おしまいよ」阪神・矢野監督の「今季で退任」発言をOB江本孟紀が“ぶった切り”「一番迷惑なのは、選手よりも…」
1: 風吹けば名無し 2022/02/09(水) 16:26:38.05 ID:OU6SPTs/0
私は何も考えていなかったように思える。それ以上に「自らの監督としての能力のなさ」を露呈してしまったのだと感じた。
同時にもう1つわからないのが、退任発言をしたことで、矢野監督が「これで思い切って自分の野球ができる」と言ったと報じられたことである。
これはどういう意味ととらえればいいのだろうか。
監督として指揮してきたこれまでの3年間、「思い切った采配」がふるえなかったと言いたいのか。もしふるえなかったとしたら、その理由は何なのか。まったく解せない。
阪神のフロントはどこかの某球団のように、監督の選手起用について口を挟むような人はいない。スタメンをオーナーが決めることなどまずありえないし、選手起用について問題提起するような人もいない。
むしろ「現場の選手起用は監督がすべてお決めになってください」という姿勢であるから、思い切った采配をふるえるだけの土壌があるのが事実だ。
またシーズンの成績がふるわなく、その責任をとって自ら「辞める」と言い出すのもこれも致し方ない。
だが、「辞める」ことをキャンプインの前日に口に出してしまうのは、あまりにも稚拙すぎた。自身の発言が周囲にどれだけ影響を与えるのか、そこまで思いを致したとは到底思えないし、実際には矢野の家族と井上一樹ヘッドコーチには相談したと言う。けれども『男はつらいよ』の寅さんではないが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」という禁じ手を使ってしまった感は否
問題は「矢野監督の下で働くコーチたち」である。 コーチの中には当然、矢野監督になったことで縦じまのユニフォームを着た者もいるだろうし、矢野監督だからこそ今日までコーチでいられた者もいる。そうした人物が本当に指導者としての能力と適性があるかどうかはさておき、彼らが「矢野監督が辞めることで、来年も阪神のコーチでいられる可能性が低くなった」ことはまぎれもない事実である。
本来、監督自らコーチとして引っ張ってきた人材ならば、一蓮托生であることが多い。だからこそ「この監督のために1年間、必死になって選手を指導して、一人でも多く一軍で活躍する人材を供給する」のがコーチの務めだ。
結果、シーズンが終わって優勝するのがベストだが、仮にも成績不振で監督が辞めてしまって自分たちも辞めることになってしまったらそれはそれで仕方がないと覚悟を決められる。全力で取り組んだ結果、思うような成果を残せなかったとしたら、指導力不足だったと自身の至らなかった点を省みて、次のステージへ進むことができるからだ。
ところが肝心の監督がキャンプイン前日にシーズン終了後の退陣を早々に宣言してしまった。こうなると話は大きく変わってくる。「この監督のために……」という気概を持てないことだって大いにあり得る。
それに、シーズンが終われば自らもユニフォームを脱ぐ可能性が高くなれば、選手に対する指導もおざなりになってしまうことも十分考えられる。