あわせて読みたい
なんと!「駅伝」始まりのきっかけは引越し
駅伝に置く傾向が強く、更に、箱根駅伝は全日本大学駅伝や、出雲駅伝に比べて、区間数や、1区間あたりの距離の平均が非常に大きい上、他の学生駅伝には無い「山登り」「山下り」の区間も存在する(学生駅伝の中では最も過酷である)ため、全国大会で本来最も権威の高いはずの出雲駅伝と全日本大学駅伝を、単なる箱根駅伝
243キロバイト (32,461 語) – 2022年1月26日 (水) 15:15
|
その引越しは明治時代に行われたもので、日本の歴史上で最も豪華な引越しだった。
日本で最初に行われた「駅伝」は1917年(大正6年)のことであり、京都から東京までの約508kmという長い距離だった。現在の箱根駅伝は往路・復路の合計で10区間約217kmであり、その2倍以上の距離を1チーム延べ23人でたすきをつなぐという過酷なものだった。
そんな過酷な駅伝が誕生したきっかけは、明治天皇のお引越しであった。明治維新により1868年(明治元年)に日本の首都は京都から東京に移され、この時に明治天皇のお住まいも京都御所から江戸城に移った。
これを「東京奠都(とうきょうてんと)」といい、数千人と共に京都から東京まで向かい、沿道の民衆に金品を配るなど華々しく行われた。
そんな東京奠都の50周年を記念して行われたのが、日本初の駅伝とされる「東海道駅伝徒歩競走」であった。この駅伝は関東組と関西組の2チームに分かれ、1917年(大正6年)4月27日に京都・三条大橋をスタートした。昼夜を問わず東海道を走り続け、最終ランナーが東京・上野不忍池のゴールに到着したのは2日後のことだった。
この時、先着の関東組のアンカーとしてゴールしたのは金栗四三(かなくり しそう、1891~1983年)だった。
金栗は「日本マラソンの父」とも称され、この駅伝の3年後の1920年(大正9年)に開催された第1回「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」の大会開催に尽力した人物である。
このように「駅伝」が誕生したきっかけは明治天皇のお引越しであった。ちなみに、初めての駅伝におけるスタート地点の三条大橋とゴール地点の不忍池のほとりには、それぞれ「駅伝発祥の地」の碑が建てられている。
また、駅伝が開催された日付に由来して4月27日は「駅伝誕生の日」という記念日になっている。