鬼もオウチで、鬼いさん『鬼ぎり』

鬼もオウチで、鬼いさん『鬼ぎり』

鬼もオウチで、鬼いさん『鬼ぎり』

おにぎり(御握り)は、ご飯を三角形・俵形・球状などに加圧成型した食べ物である。通常は掌(てのひら)に載る程度の大きさに作る。「にぎり」「握り飯(にぎりめし)」「握飯(にぎりめし、にぎりいい)」、「むすび」「おむすび(御結び)」「おつくね」などともいう。 携行性に優れており、手づかみで食べられることか
89キロバイト (11,888 語) – 2022年1月26日 (水) 17:22
現在では節分といえば毎年2月3日ですが、昔の節分はこの日だけを指すものではありませんでした。
節分の本来の意味は文字通り「季節の分かれめ」。節分は立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前日の、年4回あるのです。
それが日本では立春が1年の始まりということで重要な日であったため、だんだんと節分=春の節分という認識が広まっていきました。これが現在の節分の由来です。
節分の由来といわれている行事として「追儺(ついな)」があります。
追儺は8世紀ごろから行われていた、鬼払いの行事です。邪気や疫鬼を追い出すために宮中で大晦日の夜に行われていました。
追儺はもともと「神役が疫病を司る目に見えない鬼を追い払う」という設定でしたが、平安時代末には「実際の鬼役を追い出す」という現在の節分に近い形になったと言われています。
鬼を追い払うのには、豆ではなく桃の弓と葦の矢を使っていました。一方、平安時代の節分は厄除けと健康を願う読経が行われるもので、追儺とは関係ありませんでした。
その後始まった年代は定かではありませんが、節分の儀式に豆まきが加わります。遅くとも南北朝時代には豆まきと追儺の鬼払いが節分に加わっていたようです。
また、当時使われていた暦は現在より1ヵ月ほど遅れた旧暦で、新年は立春の前後の日付でした。このように日付が近かったため、もともとは別々の行事であった大晦日の追儺と立春前日の節分の行事が混ざることとなり、江戸時代には完全に同化しました。
こうして、節分に豆をまいて鬼を追い払うという今の行事ができあがったのです。今日では節分の豆まきには大豆を使うことが多いですが、昔は米・麦・粟・炭などが使われていることもありました。穀物に魔よけの力があると信じられていたためです。
なかでも大豆が使われるようになった由来には、大豆が鬼毒を殺し、痛みを止めると当時の中国の医学書に書かれていたことがあげられます。また、京都の鞍馬で毘沙門天のお告げに従い、鬼の目をめがけて大豆を投げつけて退治したという逸話も残っています。
しかし、地域によっては大豆ではないところも。北海道や東北などでは殻つきの落花生がまかれています。寒い地域では雪にまくことになるので、落花生の方があとで拾いやすいという理由で広がったといわれています。
最近では衛生的、合理的という意味で全国的に落花生がまかれることも増えてきました。節分の楽しみといえば、豆まきのあとに年の数だけ豆を食べること。おいしさの秘密は大豆を炒ってあるからですが、炒ってあるのはおいしく食べるためだけではないのです。
昔は豆から芽が出ることは縁起が悪いと考えられていました。そのため芽が出ないようにしっかり炒る必要があったのです。
また炒るは「射る」に通じるため、鬼退治にふさわしいと考えられていました。節分には豆まきとともに、節分飾りの風習もあります。鰯の頭が玄関脇に飾ってあるのを見たことがありませんか?
これは柊鰯と呼ばれる、柊の枝に焼いた鰯の頭をさした節分の飾りです。
鰯を使うのは臭いにおいで鬼を追い払うため。そして柊はとげが魔よけになるといわれているからです。
この柊鰯が、ことわざ「鰯の頭も信心から」の由来にもなっています。また、地方によっては飾るだけではなく、節分に鰯を食べるところもあります。
👹1年の無病息災を願って
500年以上もの歴史を持つ節分の豆まきは自宅で気軽にできる厄除けです。「鬼は外、福は内」と元気な声を出しながらの豆をまいて厄払いし、終わったあとは豆を食べながら1年の無病息災を願いましょう。
👉なお、消費庁から、窒息の危険があるので3歳ごろまでは豆は食べさせないようにとの注意喚起が出ています。👪小さなお子さまといっしょの豆まきは気をつけましょう。

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