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太田光、転機は“ボキャ天”「なんとか爪痕を残すってことしか考えてなかった」<初耳学>
お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、1月23日放送の「日曜日の初耳学」(MBS/TBS系)に出演。同い年だという林修のインタビューに答え、自身の芸人としての転機やお笑いに対する思いを打ち明けた。
■「ダジャレで出て、漫才をやりたい」
毒に満ちた太田のボケと、田中裕二のストレートなツッコミが人気を集め、漫才だけでなくバラエティー番組MCとしても引っ張りだこの爆笑問題。炎上することがあっても自由に見える発言を貫いてきた太田に対し、林先生は「芸人という道を本当に強い覚悟を持って真摯に歩んでいらっしゃる」と称える。
インタビューでは、ブレークのきっかけとなった人気番組「タモリのSuperボキャブラ天国」(1994年、フジテレビ系)の話題に。1993年「NHK新人演芸大賞」、1994年「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」初代チャンピオンのタイトルを立て続けに獲得した爆笑問題に、当時人気だった「―ボキャブラ天国」出演の話が舞い込んだ。
「あれはありがたかったです」とオファーを振り返った太田。「あそこでなんとか爪痕を残すってことしか考えてなかった」「今の、客席に飛び込むとか大暴れするっていう俺の芸風は、あの頃に始まったことじゃないかな」としみじみ振り返った。
「ボキャブラ天国」出演でブレークのきっかけをつかんだ爆笑問題だったが、はじめは悩みもあったという。
「ワンフレーズ、しかもダジャレでしょ。俺たちは漫才やコントをちゃんとやりたいから」。葛藤の中でも、“その時できること”に集中した。「そこでどう見せるかっていう工夫はいろいろやりようがあった。ダジャレで出て、(いつか)ちゃんと漫才をやりたいと思いながらやっていましたね」と当時の思いを語った。
■「人間は、人の失敗で笑うものだと思ってる」
インタビューでは、お笑いへの思いも本音で語った。年々厳しくなるバラエティー番組のコンプライアンス問題について、林先生が太田の著書の一節を引用し「太田さんはテレビを無菌状態にしたくはないと。規制についてどうお考えですか?」と問いかけると、太田は「芸人によって考えは違うけど、俺は笑いはいじめそのものだと思っているんですよ」という。
一見ショッキングなその言葉。裏側には、“人はなぜ笑うのか”という問いへの温かい眼差しがあった。
「(外見や失敗を笑いのネタにすることは)いずれできなくなると思うんだけど、それっていいのかな、って俺はちょっと思っていて」「その笑いには軽蔑や蔑みだけじゃなくて、愛嬌があったり、『そういうことってあるよね』っていう共感の笑いも同時に重なっている」と持論を展開。
「俺は、人間は人の失敗で笑うものだと思っている。だけど、それは軽蔑の笑いだけじゃない」「単純に、『痛みを伴う笑いはいけません』っていう論理は、俺ら(芸人)からしたら乱暴だなと思う」と自身の考えを話した。
笑いについて真剣に語る太田に、スタジオで見守る田村淳も「ここまでふざけないで語っている太田さんを見たのは初めてだと思う」と驚いた様子。
高校時代は3年間、まったく友達ができず苦しんだ太田。爆笑問題としてブレークしたばかりの若い頃、テレビで「高校時代は友達がいなくてすごく追い詰められていた」と打ち明け、「その時、僕が大人になって何か表現できるようになったら、そういう立場にある子どもが勇気づけられることを言いたいなと思っていた」と当時の思いを語っていたが、今もその思いは変わらない。
インタビューの最後には「人間関係で悩むのは当たり前ですよ。だって全然違うんだもん、人と人とは」と力を込め、「(苦しんでいるのは)自分だけじゃないかと思う人には、俺は『ほとんどの人はそうですよ』って言いたいね」と、悩める視聴者に力強いメッセージを送った。