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「変えなければいけない」スキージャンプ日本代表・高梨沙羅、北京五輪へ決意語る
初出場は17歳で挑んだソチ五輪。金メダル最有力とみられていましたが4位と悔しい結果に。そして4年後の平昌五輪では日本女子では初の銅メダルを獲得しました。
この結果について高梨選手は「メダルは取れたけど、自分の全てをそこ(平昌五輪)に懸けてきてベストのジャンプを飛んで銅メダルだった。これからどんどん伸びていく女子ジャンプのレベルの中では、トップで戦えない状態になってしまう」と、メダルが取れた喜びよりも、その後世界と戦っていくことができないと痛感させられた試合でもあったと振り返り、「変えなければいけない」と変化を決意しました。
そこで平昌五輪の後、高梨選手は自身のジャンプをゼロから作り直しました。「ゲートに入るところからの呼吸法など意識的なところから始めて、ヨガをやったり呼吸を意識しながらゲートに入ってスタートを切ることで、毎回安定して同じようにアプローチを組むことができている」と呼吸法なども見直したといいます。
特に細かく取り組んできたのは空中での足の部分。「空中でスキー板の角度のことはよく言われる。足首のトレーニングで、くるぶしの所だけ引き上げるトレーニングは部屋の中でも地道にやってきた」と話し、「足首の筋肉を『つける』といるより『使える』ようにしておく」ことで空中でスキー板が横風から受ける抵抗を減らすことが可能に。
「ゲート」、「アプローチ」、「テイクオフ」、「空中」、「テレマーク」の全てをまさに今も作り直している高梨選手。「今、空中部分に手をつけている最中。その後にテレマークと呼ばれる着地に手をつける」と北京五輪本番まで時間は少ない中でも「間に合わせます」と力強く答えてくれました。
自身のジャンプを変えることに恐怖心はなかったかと聞くと「最初の1、2年は本当に何もうまくいかなくて苦しい時期が続いていたんですけど、我慢してつなげていくことで、何百回も試した中のひとつが自分に合って、引き出しを増やすためにもたくさん色々なことに挑戦していかないといけない。私はできるだけ長くトップで戦っていたいので、色々なものを吸収して進化していきたい」と恐怖心よりも進化したい気持ちが強かったと、当時の心境を話しました。
高梨選手の平昌五輪後の4年間の最大の変化は「メンタル」。大会で優勝することができないなど、苦しい時期のメンタルの保ち方については「周りの支えもあったが、自分の中でこうなりたいと明確な意思があった。またトップに戻ってくるという目標があったので乗り越えられた」と技術面以上にメンタル面が進化したといいます。
「何百とあるパーツを組み立てて、やっと外壁ができて、城の骨組みができてという感じなのでこの後が楽しみ」と今スキージャンプが“楽しい”と感じている高梨選手。「ソチ五輪と平昌五輪の結果があったからこそ今の自分がある。金メダルを目指して成長した姿を見せられるようなパフォーマンスがしたい」と、苦難を乗り越え進化して挑む北京オリンピックへ決意を語りました。
1/18(火) 22:52配信 日本テレビ系(NNN)
https://news.yahoo.co.jp/articles/07d867a3f96d1b02fe4c39b9baad35a3fe410dfb
高梨沙羅 北京五輪へ「ゼロから作り直したジャンプ」苦悩と進化語る
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