あわせて読みたい
漫画家・水島新司さんが批判も沸いた「あぶさん」景浦の“60歳打率4割”を描いたワケ
野球漫画の第一人者として「ドカベン」など数々の作品で読者を長年魅了し、10日に82歳で死去した漫画家水島新司さんの訃報に17日、漫画界、野球界、芸能界から哀悼の声が相次いだ。厳選秘話を公開する。
訃報を受け、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光が追悼コメントを発表した。水島さんと爆笑問題はラジオ番組などで共演するなど、古くから交友関係にあった。
太田は「先生が描く使い込んだグローブ、ボールの縫い目、ユニフォームの皺(しわ)、土ぼこり、マウンドの陽炎(かげろう)、満員の甲子園球場…全てが私にとっての野球でした。球汚れなく道けわし。『花は桜木 男は岩鬼』。明訓より強いチームはありません」と振り返る。
また、水島さんの大ファンだったタレント・伊集院光が、自身のラジオ番組「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)で「僕の青春そのものの人っていうか…。僕は、趣味、何ですかっていったら、『水島新司のマンガです』。“水島新司の”って付けるぐらい大好きな方だったんで、ちょっとショックですね」と話した。元阪神の川尻哲郎氏も哀悼の言葉を寄せた。中学、高校時代に「ドカベンは読んでいたよね」という川尻氏は「野球少年にとってはバイブルというか憧れ。野球少年にとっては必須の漫画だったと思う」と振り返った。水島さんが草野球をやっていたため、神宮球場でよく会っていた。そのたびに「見てますよ。頑張ってくださいね」と声を掛けてもらった。
野球選手にとって「ドカベン」に登場するのは夢の一つ。川尻氏は「僕も機会があったら『出たいです』という話をしてたら、ちょこっとだけ出してくれてね」と夢をかなえてくれたといい、「野球の大好きなおじさん。野球を本当に愛していた。ご冥福をお祈りします」と話した。
その水島さんの代表作の一つが「あぶさん」だ。あぶさんこと、大酒飲みの景浦安武が主人公であるこの物語は、1973年に「ビッグコミックオリジナル」で連載を開始した。水島さんは「大酒飲みの選手を預かる監督はこの人しかいない」と、当時、南海ホークスの監督だった野村克也氏に頼みに行ったのは有名な話だ。
「その時、野村さんは反対せず、『大酒飲みはスタミナはないかもしれんけど、瞬発力はあるかもしれんな』と答えた。それで“代打男”という設定になった」(水島さんの知人)
ただ当初は“代打男”という設定だった景浦だが、なぜか40歳になってから先発に定着。3年連続3冠王に輝いたり、当時の日本記録である56本塁打を記録するなど、作風が一気に変わった。2007年には60歳にして、史上初となる打率4割を達成するなど、内容が現実離れしたものとなり、かつてのファンからは批判の声もあったが、それでも水島さんは「景浦はまだやれる!」と本気で思っていたそうだ。
前出の知人は「その根拠は、自分の草野球の動きに自信があったから」と言う。水島さんは漫画の連載で忙しい日々を送りながら、草野球の試合に年間約60試合出場していた。
「ポジションはセカンドが多かったが、60代後半になっても自分の動きに衰えを感じなかったそうで、『これなら、自分より若い景浦はまだまだやれる』なんて言ってましたね」
景浦は結局、63歳まで現役を続けたが、その裏には自分の動きへの自信があったようだ。