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「明訓はPLより強かった。僕は里中を打てない」清原氏、恩人・水島新司さんとの別れ惜しむ
スポニチアネックス
02年、談笑する巨人時代の清原氏(左)と水島新司さん
◇水島新司さん死去
西武、巨人などで活躍し、歴代5位の通算525本塁打を放った清原和博氏(54)がスポニチ本紙の取材に応じ、プロ野球界を盛り上げた恩人へ感謝を伝えるとともに、別れを悲しんだ。95年の「プロ野球編」連載開始は、ドカベンたちとの共闘を希望した清原氏の言葉がきっかけ。この先もドカベンを長く語り継いでいくことを約束した。
小学生の頃から「ドカベン」を読んで育ちました。僕の野球人生は「ドカベンになりたい」「あんな最強の4番打者になりたい」と思ったところから始まった。先生が亡くなり、何とも言えずただ悲しい気持ちでいます。
山田太郎から理想の4番像を学びました。ケガに強く、相手の決め球を打ち、チャンスに強い。僕から4番を奪ったのは、ドカベンと松井秀喜。松井君も山田太郎を意識していたと話していた。バッターとしての山田太郎は、大谷翔平君にも負けない実力だと思う。
殿馬のグリップ打ちは、まねしたけどうまくいかなかった。背番号「5」をつけた時には「男・岩鬼と同じだ」とうれしかった。同じように三振していましたけど(笑い)。ピッチャーでは土門が好きだった。剛速球でドカベンを苦しめた。エースと4番は真っ向勝負という気持ちは、あそこから生まれました。明訓は、自分がいた時のPL学園よりも強かったと思う。僕は里中を打てないですよ。
水島先生はパ・リーグの豪快さを描いてくれた。個性の強い選手が多かった。昭和、平成、令和の3時代にわたって、プロ野球を盛り上げてくれた。パ・リーグだけでなく、プロ野球界の恩人です。
最後にお会いしたのは現役時代。調子が良い時は「いい彼女でもできたのか?」、悪いと「調子悪いじゃねーか?」と声を掛けてくれ、ニコニコと懐に入り込んできた。そういう性格だったから、魅力的な作品やキャラクターが描けたのだと思います。
先生、寂しいよ。僕にできることがあるとすれば、少年野球など教える機会がある時に「ドカベンを読んでほしい」「個性の大切さを知ってほしい」と伝えていくこと。今は個性を出すのが難しい時代だが、ドカベンを読んで「みんなと同じでなくていい」「人と違う打ち方でいいんだ」と知ってほしい。それが恩返しになれば。先生も「何だよ、うれしいことやってくれるじゃないか」と言ってくれるんじゃないかな。(元プロ野球選手)
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