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【悲報】『新聞離れ』昨年も180万部減、全然止まらぬ「新聞」衰退の末路
2021年末に公表された日本新聞協会の最新データで、一般紙の総発行部数が
3000万部割れ寸前まで落ち込んだことが明らかになった。
日本の新聞は高度経済成長期の1966年に3000万部台に乗り、その後は1990年代末の5000万部超まで拡大した。
しかし、その後は下降を続け、部数減が止まる気配はまったくない。このまま進めば、本年中に一般紙は
3000万部台を割り込むことが確実。高度経済成長以前の水準にまで落ち込むのも時間の問題になってきた。
■新聞離れに一定の歯止め?
日本新聞協会が2021年12月下旬に公表した同年10月時点のデータによれば、
スポーツ紙を除く一般の日刊紙97紙の総発行部数は、前年比5.5%(179万7643部)減の3065万7153部だった。
20年前の2001年には4700万部、10年前の2011年には4400万部を数えたものの、今や3000万部割れが目前である。
新聞協会のデータを公表前に見た全国紙の経営幹部は、「思ったほど減少率が大きくなかった。
減り方は鈍化したと言える。コロナ禍で人々が正確な情報を欲し、それが新聞離れに
一定の歯止めになったのではないか」と推察した。
この幹部が言うように、前年2020年10月時点のデータと比べると、減少の速度はやや緩やかになった。
スポーツ紙も含めた1年前の発行部数は3509万1944部。2019年との比較では7.2%減で、
その減少幅は過去最大だった。これまでに例のない落ち込みというインパクトは強烈だったから、
「7.2%減」が「5.9%減」になったことに少しでも安堵したいという気持ちはよくわかる。
しかし、読者の「紙離れ」に、もうそんな気休めが入り込む余地はない。
次の表を見てほしい
https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/2/5/1040/img_250048b1835b1b09cbc7bb1a80b680e4361075.png
右端の欄が対前年の減少部数を示したものだ。数字の「赤い文字」は対前年でマイナス、「黒い文字」はプラスである。
「黒い文字」も2回を数えるが、ほとんど真っ赤だ。しかも、直近になるにつれ、マイナス部数が急増していることがわかる。
特に2017年以降は厳しい。毎年、対前年で100万部以上の減少が続き、2017~2021年の5年間では
合計916万部余りが消し飛んだ。読売新聞は日本一の700万部以上を有するとされるが、
それと同じ規模の部数が5年足らずで丸々消えてしまった勘定だ。1年単位で考えても毎日新聞(約200万部)や
産経新聞(約120万部)クラスの新聞が1つ2つなくなっている。
■コスト負担に耐えかねて夕刊廃止も止まらず
2021年のデータで発行形態別の数字を見てみよう。それによると、朝夕刊セット部数の合計は648万4982部
(10.6%減)となった。これに対し、朝刊単独の部数は2591万4024部(4.2%減)で、夕刊単独は62万8129部(19.0%減)。
夕刊離れが特に著しいことがわかる。
かつて、紙で新聞を読む人の大半は、同じブランドの新聞を朝刊も夕刊も読んでいた。
そうした「セット」購読層は今後、稀有な存在になっていくだろう。読者が夕刊の購読をやめる前に、
コスト負担に耐えかねて「休刊」という名の夕刊廃止に踏み切った新聞社も少なくない。
特に地方紙でそれが目立つ。広告がほとんど入らないため、広告スペースを自社関連の出版物や催しの案内で
埋めざるをえなかった新聞も多い。これに配達員不足が加わり、多くの新聞社で夕刊はお荷物でしかなくなったのだ。
主な夕刊廃止の動きをざっとまとめておこう。◎は地方紙よりも発行エリアの狭い「地域紙」であり、かつ、
もともと夕刊しか発行してない。
【2021年】
◎根室新聞(北海道)、◎千歳民報(同)、◎両毛新聞(栃木県)、◎近江同盟新聞(滋賀県)、熊本日日新聞
【2020年】
東奥日報(青森県)、山陽新聞(岡山県)、徳島新聞、高知新聞、大分合同新聞
【2010~2019年】
岩手日報、秋田魁新報、岐阜新聞、◎岡山日日新聞、中国新聞(広島県)、沖縄タイムス(沖縄県)、琉球新報(同)
2009年以前には、早々と北日本新聞(富山県)や南日本新聞(鹿児島県)などが夕刊から撤退し、
夕刊紙の名古屋タイムスは廃刊した。また、朝刊だけの発行だった茨城県の常陽新聞は2017年に廃刊した。
こうした動きはさらに強まっており、新聞界に影響力を持つ有力新聞が夕刊発行の停止に踏み切るとの話もくすぶっている。
※以下、全文はソースで。
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