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■秋葉原の成長と「消費社会」の延命
ではなぜ秋葉原は、そもそも自民党の最終演説地としてながらく選ばれ続けてきたのか。その理由のひとつは、選挙の最後にホームグラウンドで圧倒的な支持をみせつけ、気炎をあげるためだったと考えられる。
(中略)
わたしの調査では、秋葉原はまさにそうした20代以上の男性が多く集まる街だった(拙著『サブカルチャーを消費する:20世紀におけるマンガ・アニメの歴史社会学』)。渋谷や池袋などと較べて秋葉原には、自民党の支持層とみられる人びとが相対的に多く集まり、だからこそ自民党の最終演説地として選ばれてきたと考えられるのである。
(中略)
秋葉原で性的に危うい表現が黙認されたのは、ひとつにはそこがラジオパーツやPCショップの集まるマニアの街として、いわば天然の「ゾーニング」を形成していたためである。その傾向は、オタクグッズが集まり、それを求める20歳以上の男性が押し寄せてくるなかでますます強化されていった。
そうした層の支持を期待して、秋葉原は自民党の最終演説地として選ばれた。だがそれだけではなく、より注目されるのは、男性の購買力に支えられ、秋葉原がバブル以後の日本社会の沈滞のなかで、稀有な成長を遂げたことである。
(中略)
そうして2000年代より秋葉原はいわば記号的に消費されていくことになったが、しかし近年にはそれにかげりもみられる。実際、秋葉原を歩けば、空きテナントが目立つ。老舗の同人誌店「とらのあな」の秋葉原での店舗の縮小(現在は秋葉原店Aのみ営業)や、駅前の「ツクモ秋葉原駅前店」のわずか8ヶ月での閉店、カラオケ店「アドアーズ秋葉原店」の撤退など、なかにはビルそのものが空き店舗化している状況さえみられるのである。
それが秋葉原の衰退を直接、証明するとまでは、たしかにいえない。モードの場としての秋葉原ではもともと店の新陳代謝が激しく、他方では2007年につくられた秋葉原UDXを中心としてオフィスや飲食店の展開もさかんである。とはいえ空き店舗が長期間街の目抜き通りにみられ、また老舗のメイド喫茶などが退店している状況では、少なくとも「オタク」の街としての個性が失われつつあることは否定しがたい。
(中略)
ただしコロナ禍だけを、秋葉原の停滞の理由とみるのは早計だろう。たとえば東京の繁華街でみれば、郊外の吉祥寺に加え、浅草・六本木などで人流の回復が素早い一方で、秋葉原の次に遅いのが渋谷になっている。
こうした各繁華街の差はひとつには、街に集まる年齢層のちがいによって生じていると考えられる。高齢者のほうがワクチン接種率が高く、積極的に活動しているという事情もあるかもしれないが、大局的にみれば、コロナ禍以前から続く少子高齢化のせいで、かつて若者が集まっていた街が衰退しているというより根本的な変化がみられるのではないか。
(中略)
たしかにかつての秋葉原はこうした衰退の例外だった。20代から40代の比較的人口の多い中年層の男性客を主な購買層としたおかげで、秋葉原は少子化の影響を免れ成長したのである。しかしそれにも限界がある。かつての客たちが緩やかにファミリーを形成し、個人的な趣味のために消費する余裕をなくしていくなかで、少子高齢化の波に、他の街と同様、秋葉原もついに襲われ始めたようにみえるのである。
(中略)
先に本論は「消費社会」の衰退を補う代償として、秋葉原が2000年代以降もてはやされてきたと論じた。マンガやアニメを好むにしろ、そうでないにしろ、秋葉原におけるサブカルチャー的オタク文化の展開は、東京の失われた繁栄を償う現象として評価されてきたのである。
こうして社会的な追認を受けることで、秋葉原的サブカルチャーは大きなユーフォリア(多幸感)を伴い、消費されてきた。しかしそれも、(1)秋葉原におけるオタク的文化の停滞に加え、皮肉にも、(2)コロナ禍での格差を伴う経済の繁栄のなかで、終焉に向かいつつあるようにみえる。
(中略)
ただしそれは秋葉原にとって、悪いこととばかりではない。サブカルチャーが政治と経済に緊密に結びついていた時代こそむしろ異常だったのであり、だとすれば秋葉原はむしろようやく「普通」のマニアの街に戻りつつあるのかもしれないといえるためである。
貞包英之(立教大学教授)
1/6(木) 7:32配信
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