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知ってた?『日本一安い電気街』
つくばエクスプレス(TSUKUBA EXPRESS、略称並びに路線記号:TX)は、東京都千代田区の秋葉原駅と茨城県つくば市のつくば駅を結ぶ首都圏新都市鉄道 (MIR) の鉄道路線である。『鉄道要覧』における正式路線名は常磐新線(じょうばんしんせん)であるが、案内上は全く使用されない。
131キロバイト (16,998 語) – 2022年1月8日 (土) 17:24
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1990年代後半に「秋葉原より安い電気街」として、関東各地から多くの買い物客を集めた「つくば電気街」。全3回の本連載「あなたはつくば電気街を知っているか」では、その歴史をたどります。
幹線道路沿いのわずか500メートルほどのあいだに「コジマ」「サトームセン」「石丸電気」「ダイイチ(のちのエディオン)」「カスミ電気」「ダイエー」など、大手家電量販店から地場家電量販店、パソコン専門店、総合スーパーまでさまざまな業態の店舗により「家電の安売り競争」が繰り広げられた「日本最大のロードサイド型電気街」は、2021年8月の「コジマ学園都市店」の閉店により約30年の歴史に幕を下ろした。
最盛期には「日本一安い」といわれ、水戸市や日立市、さらには県境を越えて千葉県柏市など100キロメートル圏内を商圏とするほど栄えていた「つくば電気街」は、なぜ衰退の道をたどり、完全に消え去ってしまったのであろうか。
大店法廃止が流れを変えた
1つめの要因として挙げられるのが「大規模小売店舗法(大店法)の廃止」による家電販売店の大型化・分散化と、それに伴う競争の激化だ。
2000年6月に大型小売店舗の出店を厳しく規制する大店法が廃止され、大規模小売店舗立地法(大店立地法)に移行。これにより、大店法時代と比較して大規模な店舗の出店が容易になった。
そして、2002年3月にはヤマダ電機がつくば電気街から約3キロメートルの場所に「ヤマダ電機テックランドつくば店」(現・ヤマダデンキYAMADAweb.comつくば店)を出店した。店舗は3階建てで店舗面積は6,959平米。ヤマダは後発の利点を生かし、つくば電気街にあったどの家電量販店よりも大きな店舗を出店したのだ。
スケールメリットを生かしたヤマダ電機
2002年はちょうどヤマダがコジマを抜いて家電業界売上高首位に立った年であり、ヤマダは企業のスケールメリットを活かすことで安売り競争でも優位に立った。このヤマダの店舗はシネコンなどを備える「つくばYOUワールド」内にあり、その規模は開業に合わせて周辺道路が拡幅されたほど。ヤマダも相乗効果で大きな集客力を誇った。
先述したとおり、ヤマダがある「つくばYOUワールド」はつくば電気街から3キロメートルほど離れていたが、車社会のつくばでは僅か数分で移動できる。こうして「品揃え」と「価格」で圧倒的な集客を得たヤマダに、他の家電店は苦戦を強いられるようになった。
その後、2009年から2013年にかけては、つくば駅から1駅となりの研究学園駅近くのロードサイドにも「ヤマダ電機」と「ケーズデンキ」が相次ぎ出店した。両店ともに当時としては最新型の大型店舗であり、家電量販店の分散化はさらに進むこととなった。
「店舗の大型化」で競争が激化
また、大店法の廃止により、つくば電気街の「敗者」となったのは、当時日本最大手スーパーであった「ダイエー」も同様だった。つくば電気街の最も北に立地し、当初は家電の販売にも力を入れていた「ダイエー筑波学園店」は2002年5月に閉店。
当時は近隣で三井系ショッピングセンター「ララガーデンつくば」の建設が計画されるなど(2004年3月開業、店舗面積16,200平米)、大店法の廃止によってつくば商圏でもさらなる競争の激化が予想されていた時期であった。その後、つくば市にはイオンモールも出店。ショッピングセンター同士の競争は激しさを増しており、その影響もあってか2017年2月にはつくば市唯一の百貨店であった西武筑波店も閉店している。
2021年現在、ダイエー跡の建物は「デイズタウン」というショッピングセンターになっており、「西友」(食品売場のみ)、「サンドラッグ」などが営業するが、家電を販売する店舗は出店していない。
敗北した「秋葉原系・地場系家電店」
2つめの要因として挙げられるのが「YKK戦争」の激化による「大手の寡占化」と「秋葉原系家電量販店の衰退」だ。
つくば市がある茨城県を含む北関東では、1980年代後半から北関東に本社を置く「ヤマダ」(群馬県高崎市)、「コジマ」(栃木県宇都宮市)、「ケーズデンキ」(茨城県水戸市)の3社が激しい競争を繰り広げ、「北関東YKK戦争」と呼ばれていた。
これら「北関東YKK」を中心とした郊外型家電量販店は、「激安価格」を武器に積極的な店舗拡大を行い、バイイングパワーを使って他社より安値で商品を仕入れた。これらの郊外型家電量販店はローコスト経営を行い、販売管理費は10%台前半に抑えることに成功した。
ラオックス、サトームセンも撤退へ
それに対し、旧来の都市型店舗を中心としていた秋葉原系家電量販店は販売管理費が20%台であり、価格では勝負にはならなかった。そのため、秋葉原系家電量販店の多くは2000年代に買収や経営統合等で次々と消滅していった。
例えば、最盛期には秋葉原に8店舗、関東地方に60店舗強を展開していた「サトームセン」は2003年につくば電気街の店舗を閉鎖。2006年に「マツヤデンキ」(大阪市大正区)や「星電社」(神戸市中央区)と経営統合し、「ぷれっそホールディングス」(東京都港区)を設立したが、2007年にヤマダ電機がぷれっそホールディングスを子会社化。サトームセンの店舗は全店ヤマダ電機に転換され、法人格も2013年に消滅した。
また、秋葉原に本店を置き、1990年代につくば電気街の近接地に店舗を構えていた「ラオックス」(東京都千代田区→港区)は、最盛期には首都圏を中心に約100店舗を展開していたものの、競争の激化により2009年8月に中国の大手家電量販店「蘇寧電器」(現:蘇寧易購)の傘下となり、総合免税店に業態を変更するに至ったほか、後で詳しく述べる「石丸電気」も2006年にエディオンの傘下となり、2010年につくば電気街から姿を消した。
カスミ、コナン販売まで相次いで…
また、つくばの地場大手の家電量販店も「北関東YKK」との競争激化から、閉店や業態転換を図ることになる。
かつてつくば市内に本社を置き、地場大手食品スーパー「カスミ」のグループ企業だった「カスミ家電→ワンダーコーポレーション」(本社:茨城県つくば市→土浦市)は競争激化から2002年11月にケーズデンキと資本・業務提携し、ワンダーの家電部門を譲渡。CD・DVDや書籍、ゲームソフトの販売に特化した。このほか、同じくつくば市に本社を置き、東日本を中心にパソコン専門店を展開していた「コナン販売」(茨城県つくば市)は1998年4月に競争激化からパソコン販売から撤退、携帯電話ショップ運営に特化した。
このように、「北関東YKK」の成長によって「秋葉原系家電量販店」「地場大手家電量販店」は苦境に陥り相次いでつくば電気街から撤退、電気街衰退の直接的要因となった。
つくば・秋葉原をつなぐ「つくばエクスプレス開通」
3つめの要因として挙げられるのが「つくばエクスプレスの開通」だ。
つくばエクスプレス開通前夜の1990年代、当時大手家電量販店であった「石丸電気」は、つくば電気街にあった石丸電気つくば店の近隣に小型の専門店を集積させるかたちで「未来電気街」の形成をめざした。
例えば、1998年4月には撤退したコナン販売の建物を賃借し、CDなどを販売する「ソフト館(のちミュージックプラザに改称)」を開設。2002年に閉鎖したC-YOU跡(旧ダイイチ跡)には2003年にデジカメやDVDなどを販売する「SUPERデジタル館」「DVDレンタル館」を開設した。
この石丸電気の「旗艦店の近隣に衛星店舗を集積させることで大きな集客を呼ぶ」という手法は、秋葉原の本店周辺でも採られており、同社にとってつくば電気街は秋葉原と並ぶほど重要な地であったことが分かる。積極的な拡大政策を採った石丸電気は2000年ごろにはつくば電気街の覇権を握ることとなり、ヤマダ電機などの「北関東YKK」とも激しい戦いを繰り広げた。
石丸にとって「ダブルショック」だった
しかし、奢れるものも久しからず。石丸電気も他の秋葉原系家電量販店と同様に「終焉の時」が刻一刻と迫っていた。そのきっかけの1つとなったのが「つくばエクスプレスの開通」だ。2005年に開通したつくばエクスプレスは、つくば駅と秋葉原駅を最短45分で結ぶ。これにより、日本一の電気街・秋葉原へのアクセスが大幅に改善され、より専門的な商品も気軽に手に入るようになった。
1990年代にはつくば以外でも「北関東YKK」に対抗すべく店舗規模の拡大をおこなっていた石丸電気であったが、郊外展開の遅れに加えて、旗艦店である「本店」も間接的につくばエクスプレスの影響を受けることとなる。
2001年に、つくばエクスプレスの建設に合わせて同線秋葉原駅前で行われる再開発の核が「ヨドバシカメラ」となることが決定。つくばエクスプレス開通に合わせ2005年9月に駅直結の都内最大級の複合家電量販店「ヨドバシAKIBA」が開業した。このヨドバシカメラは店舗面積33,000平米の巨漢店で、それゆえ「秋葉原の人の流れを変えた」といわれるほど周辺店舗に大きな影響を与えることとなった。
石丸電気本店もヨドバシカメラから徒歩圏であり、競争激化により旗艦店も不振に陥った石丸電気は2006年7月に「エディオン」(大阪市北区)と業務提携、2009年2月に吸収合併され、法人が解散するに至った。
時代の波に翻弄された「つくば電気街」
こうして、つくば電気街の覇権を握っていた「石丸電気つくば店」もつくばエクスプレスの影響をモロに受けるかたちで2010年までに近隣の系列専門店を含め全て閉店した。なお、2012年10月には「石丸電気」のストアブランドが「エディオン」に統一されたため、2021年現在「石丸電気」の屋号を用いる店舗は存在しない。
石丸電気つくば店の閉店により、つくば電気街で営業を続ける店舗は「コジマ」ただ1店となった。しかし、北関東YKK戦争で疲弊していたコジマも2012年6月にビックカメラと資本業務提携契約を締結。店舗整理をおこないながら将来性がある店舗を「ビックカメラ×コジマ」へと転換したものの、研究都市店は改装が行われることはなかった。
そして、コロナ禍のなか、あの「太陽マーク」を掲げたまま2021年8月に閉店。こうして、時代の波に翻弄されつづけた「つくば電気街」は約30年の歴史に幕を下ろした。
「消える電気街」は京都にも
「電気街」は「家電を扱う」というその性格ゆえ、常に「新しさ」が求められる業態であるといえよう。それだけに店舗のスクラップアンドビルドも激しく、体力が無くなった企業が業界の覇権を失うことも少なくないほか、つくばのように「電気街」自体が消えてしまうことさえもある。
2021年には、京都府内最大の電気街であった「京都・寺町電気街」も駅チカの大手都市型店舗や郊外型店舗との競争に敗れるかたちで最後の家電量販店が消滅。こちらはつくばと異なり、一部のパソコン専門店やアダルトショップなどは残っているため「サブカル街」としての機能は辛うじて残るものの、「電気街」としての歴史は終えた。
残る電気街の未来やいかに?
また、アジア有数の電気街として名を馳せた「東京・秋葉原」や「大阪・日本橋」も、2000年代に入るとサブカル店舗が増え、そして2010年代に入ると外国人観光客をターゲットとした店舗が増えたものの、2020年以降はコロナ禍のなか空き店舗が急増しており、常にその姿を変貌させている。
もちろん、その「変貌」は外国人観光客の増加やコロナのみならず「ネットショップとの競争激化」や「超大型店への一極集中」など、さまざまな複合的要因が背景にあることは言うまでもない。
かつて栄華を極めた「つくば電気街」も、そして「京都・寺町電気街」も時代の波に抗うことはできず、儚くも消えることとなった。果たして、国内に残る電気街たちはコロナ禍後にさらなる進化を遂げ、再び賑わう「電気街」へと戻ることができるのであろうか。
<取材・文・撮影/藤井瑞起・若杉優貴(都市商業研究所)>
参考:
河野重年(1997年)「家電流通最前線レポートー5-秋葉原を圧倒する『つくば電気街』の台頭」激流22(5)
第一家庭電器創立30周年記念推進委員会 編(1989年)「第一家庭電器30周年史」第一家庭電器
東洋経済新報社 編(各年)「大規模小売店舗総覧」東洋経済新報社
日本経済新聞、茨城新聞、電波新聞
【都市商業研究所】
若手研究者で作る「商業」と「まちづくり」の研究団体『都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」の動きを分かりやすく解説している。Twitter:@toshouken