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【韓国】生存する慰安婦被害者あと13人・・・『30年の叫び』いつまで
https://youtu.be/Z9q_kAVy55E
<アンカー>
旧駐韓日本大使館前で30年前の今日(8日)、日本軍慰安婦被害者による初めてのデモが行われました。長年、心に秘めていた傷をあらわにした勇気のいる叫でしたが、この訴えが30年も続くとは思いもしませんでした。日本の心からの謝罪を待っている間、被害者のハルモニ(お婆さん)は一人、二人と(この世を)去り、今では13人しか残っていません。
今日のフォーカスは、慰安婦被害者のハルモニの叫びに合わせてみました。
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(BGM♪~)
<レポート>
時に西暦1992年1月8日、ソウル 鍾路区(チョンログ)の日本大使館前。女性団体の会員30人余りがデモに乗り出しました。
これらのプラカードには『挺身隊犠牲者の慰霊碑建立』と、『強制連行の事実を歴史教科書に記載セヨ』という要求が盛り込まれていました。
歳月は流れ、駐韓日本大使館まで移転しましたが、デモは毎週水曜日に同じ場所で30年間続いています。
<イ・オクソンさん(慰安婦被害者)>
「水曜デモに出て色々と苦労した。雨が降っても雪が降っても出て・・・」
単一のテーマで1,525回も行われたデモで、慰安婦被害者が粘り強く要求してきたのは一つだけ、日本政府の心からの謝罪でした。
(BGM♪~)
<故キム・ハクスンさん(1991年8月14日)>
「・・・やられているのに(あきれて)開いた口が塞がらず、胸が詰まって言葉がでません。その時に考えるべきではないとすれば、私の心が(とても)どうすべきなのか分かりません」
被害者ハルモニの勇気のいる叫びは大きな反響を呼び、映画化もしました。
<映画『アイケンスピク(I Can Speak)』>
(BGM♪)
「あなた方に許されるチャンスを与えたいと思うのです。私たちの命があるときに “すみません” と。その一言がそんなに難しいのですか?」
海外でも水曜デモの象徴である平和の少女像の撤去の動きをめぐり、現地で反対集会が行われるほどどです。
「「「平和の少女像は!必ず残す!」」」
正義記憶連帯の理事長を務めたユン・ミヒャン議員(無所属)が、補助金や後援金の流用容疑などで裁判にかけられて危機を迎えたりしましたが、水曜デモの精神だけは傷つけてはいけないというが生存被害者の共通した考えです。
<イ・ヨンスさん(日本軍慰安婦被害者)>
「まだ日本はあのような妄言ばかり吐いています。日本だけを見ているわけにはいきません。(BGM♪~)私はICJではなく、(UN)拷問禁止条約に行きます」
234人いた慰安婦被害者のハルモニのうち、生存者は今や13人。
<イ・ナヨン(正義記憶連帯理事長)>
「30年の時間にもかかわらず、日本政府が退行に退行ばかり繰り返していることを誰が知っているのだろうか」
ハルモニの最後の望み、日本政府の心からの謝罪はいつごろ行われるのでしょうか。
ニュース7フォーカスでした。
TV朝鮮(韓国語)
http://news.tvchosun.com/site/data/html_dir/2022/01/08/2022010890047.html