あわせて読みたい
なぜ中国は日本を「最大の攻撃対象」としたのか?…中国にとって「格下の存在」だった日本への屈折した感情
「なぜ世界はここまで急に揺らぎはじめたのか?」
『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(講談社現代新書)では、共同通信社の国際ジャーナリスト、川北省吾が、混迷する国際政治の謎を解き明かすために、国際政治学者や評論家、政治家や現場を知る実務家へのインタビューを敢行。辿り着いた答えとは?
※ 本記事は、川北省吾『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』より抜粋・編集したものです。
■百年国恥
人民服姿の毛沢東の肖像画が掲げられた北京の天安門。1949年10月1日、毛はその楼上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言した。2021年7月1日、毛と同じ色の人民服を着た習が同じ場所に現れた。
中国ではこの日、1921年7月の中国共産党創立から100周年を祝う記念式典が開催された。習は天安門広場に集まった7万人規模の大群衆を見下ろしながら、重要講話を語り始めた。
「同志の皆さん、友人の皆さん、中華民族は5000年以上の長きにわたる文明の歴史を持ち、人類文明の進歩に不滅の貢献をしてきました。しかし、1840年のアヘン戦争以降、中国は次第に半植民地・半封建社会となり、国家は辱めを受け、人民は苦しみ、文明は闇に沈みました。以来、中華民族の偉大な復興の実現こそが、中華民族の最も偉大な夢となったのです」
■アヘン戦争
アヘン戦争当時、大英帝国は植民地のインドでアヘンを栽培し、中国大陸に輸出して利益を上げていた。清が禁輸を断行し、イギリス商人のアヘンを処分したため、英側は一方的に戦端を開く。帝国主義の幕開けを告げる侵略戦争だった。
清は17世紀の建国以来、中国大陸を300年近く統一支配してきたが、体制の〝腐食〟が既に始まっていた。大英帝国は開戦から2年ほどで難なく勝利を収め、南京条約を押し付けた。
主な内容は、①イギリスへの香港割譲 ②上海など5港の開港 ③賠償金支払い──である。典型的な不平等条約だ。清はこれを機に衰退し、1911年から始まる辛亥革命を経て12年に滅亡する。
アヘン戦争こそ、中国の「国恥」の始まりだった。西洋や日本などの帝国主義列強に蹂躙され、地べたに額を押し付けられ、第2次大戦終結後の建国に至るまで、筆舌に尽くし難い辛酸をなめた。
この間の1世紀を指して「百年国恥」と呼ぶ。習の唱える「中国の夢」には恥辱をすすぎ、昔日の栄光を取り戻し、「中華民族の偉大な復興」を成し遂げる野望が秘められているのだ。
■愛国教育の黎明
「1世紀の恥辱(百年国恥)」というスローガンは、冷戦時代には必ずしも声高に唱えられたわけではない。再び広く語られるようになったのは1989年6月4日の天安門事件後である。
汪錚(ワンジョン)は事件当時、北京の大学生だった。今はニューヨーク郊外にある私立シートンホール大学の教授である。中国の歴史的記憶と共産党統治研究の第一人者で、アメリカの有力シンクタンクでも研究員を務める。
天安門事件後、情報は制限されていたが、汪は東欧で共産主義政権が次々と倒れたことを知る。東西ドイツを隔てていた冷戦の象徴「ベルリンの壁」がその年の11月に崩壊し、「中国共産党も長くないな」と思ったという。
党指導部も事態を深刻に受け止めていた。最高実力者の鄧小平以下、共産主義に代わり、民衆を束ねる新たな「接着剤」を必死に探していた。新たなよりどころとして目を付けたのが、民族の集合的記憶である「国恥」だった。
鄧は天安門事件の5日後、こう宣言している。
「……(1978年に改革・開放政策が始まって以来)この10年間の最大の過ちは教育にある。主に思想・政治教育です。われわれは(中華人民共和国の建国に至る)苦難の道や、過去の中国の姿を十分に語ってこなかった……」(注6)
共産主義への信頼は失墜し、若者は共産党に反発して背を向けていた。党が生き残る上で、極めて由々しき事態だった。鄧は若い世代に思想改造を施し、党への信頼を取り戻す必要性を痛感した。
最高実力者の意をくみ、実行に移したのが江沢民である。江は天安門事件直後の89年6月24日、共産党総書記に選ばれた。それから1年半余りを経た91年3月、歴史教育の強化を求める一通の書簡を教育行政の責任者に送っている。
以下全文はソース先で
■思想改造の「勅令」
■「反日」という副作用
2/26(木) 7:00 クーリエ・ジャポン
https://news.yahoo.co.jp/articles/465060fc07ea8d72a70c1e86d20c573ef2628b06





