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【韓国】「朝鮮人に愛国心はなく、民族的本能だけがある」
イザベラ・バード(韓国語の原文は “ビショップ”)は当時、アジアで唯一『文明国』の冷遇を受けた日本について全般的に友好的である。それは韓国人の読者を少々不愉快にしてしまう。例えばこのような部分である。「中国宗主国の庇護の下、朝鮮の両班(ヤンバン)は貴族的生活の風潮だった強圧と独裁の無限の機会を享受していた・・・朝鮮の農民は日本と西洋の教育を通じて、自分たちが最終収奪の対象であることが必然的な運命ではないという点と市民権、法における平等権、財産を保護できる権限を与えられた点を少しずつ悟ってきた」。
今の韓国で市民権や法治主義、私的財産権のような近代性の基本価値を韓国に移植した主体が日本であると主張すれば、『植民地近代化論者』というレッテルをすぐさま貼られる。『土着倭寇』だと言われるかも知れない。これは今の私の言葉ではなく、清日戦争(日清戦争)を前後して朝鮮を4回も深く観察したイギリス人の主張を伝えているのである。
イザベラ・バードの主張は続く。 「(清日戦争後の3年間で)中国との従属関係が終わり、日本が勝利することで中国の軍事力は決して崩れないという朝鮮の信頼は壊れ、政治的に腐敗した(中国と朝鮮の)二つの体制の同盟は断絶した。両班と庶民の区分は奴婢制度とともに少なくとも文書上では廃止された。野蛮的な処罰と拷問も廃止されて便利な貨幣が現金に代わり、向上した教育制度が実施されて訓練された軍隊と警察が創設された」。
どうだろう。帝国主義の元祖国出身の旅行家が日本の帝国的野心に目を背け、法外な称賛を並べたのか。あるいはそうするかも知れない。だがしかし、清日戦争以前に朝鮮が清の属国だったこと、清日戦争後に下関講和条約を通じて、この従属関係が公式に終わったことは客観的な事実である。韓国の歴史教科書は、この事実を十分に教えていない。教科書は朝鮮の体制矛盾は目を逸らし、その結果、朝鮮を実際よりも美化している。
韓半島(朝鮮半島)で『独立』という言葉が大衆的に使われ始めたのは、ビショップが旅行記を書いたこの頃だった。1896年に独立協会が結成され、すぐに独立新聞が発行された。中国の使臣を迎接した『迎恩門』が、現在の独立門に変わったのも1897年だった。この時の独立はもちろん、中国からの独立を指している。本来、独立していた者は独立という言葉を使う必要がない。清日戦争以前の朝鮮は、独立していたた国ではなかったのである。
イザベラ・バードは清日戦争の後、露日(日露)が角逐する韓半島の情勢について次のように助言している。「朝鮮は自力では支えられないため、このような困難な状況が解決されなかった場合、朝鮮は日本やロシアの保護下に入らなければならないだろう」。ご存じの通り、実際にそのようになった。イザベラ・バードの次の文章が特に私の胸を打った。「使い方が分からない独立性という贈り物を朝鮮は日本から与えられた」。朝鮮は数百年間独立状態だったのだが、ある日突然、日帝に侵奪されたのではなかった。朝鮮の独立は非常に短く、それは日本が清日戦争で勝っから与えられた贈り物だった。イザベラ・バードにはそのように見えていた。
独立という贈り物の扱い方が分からず、右往左往する朝鮮朝廷の様子をイザベラ・バードは次のように記述している。「(露館播遷で親露派が勢力を得た状況で)宮内府と王の側近は再び最も醜悪な方法で売官買職を始めた。誰も牽制しないこの悪習は最も悪辣な慣習だった。膨大な官職を掌握している王は公金を私的に流用して、自分の身近が安全で日本の干渉もなくなるとすぐさま自分の王朝の過去の弊習に復帰した」。
毎日経済(韓国語)
https://www.mk.co.kr/news/politics/view/2021/12/1130727/