【日韓】「強制徴用」と「厚生年金」の矛盾=韓国の元勤労挺身隊員ハルモニの「死ぬ前に聞きたい一言」 

【日韓】「強制徴用」と「厚生年金」の矛盾=韓国の元勤労挺身隊員ハルモニの「死ぬ前に聞きたい一言」 

【日韓】「強制徴用」と「厚生年金」の矛盾=韓国の元勤労挺身隊員ハルモニの「死ぬ前に聞きたい一言」 

1: 荒波φ ★ 2021/12/09(木) 10:26:21.76 ID:CAP_USER
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ヤン・グムドク(梁錦徳)さんが公開した名古屋での集合写真。前列の左から7番目がヤンさん

韓国の市民団体「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)と共にする市民の会」が日本共産党の衆議院議員・本村伸子氏の支援を受け「日本年金機構」を動かした。元勤労挺身隊員チョン・シニョンさん(91歳)の11か月間の厚生年金加入を認めさせたのだ。

市民団体としては一見、大きな成果を成し遂げたように見えるが、その解釈には色々な見方がある。

そもそも、韓国側は「日本は半島から強制徴用を実施した。被害者は未だに賃金をもらっていない。日本が謝罪と賠償をすべき」と要求する。

国家が非常時に国民に対して行う「徴用」はその歴史が長く、言葉の中に「強制」が含まれている。しかし、韓国では「強制」を強調するためなのか、「強制徴用」を好んで使う。最近は矛盾を緩和させるためか、「強制動員」の言葉もよく使われている。

「強制動員」でも「強制徴用」でも良いが、「厚生年金」との矛盾は生じないのか。日本はヨーロッパから学び、1940年代から厚生年金制度を実施し、韓国の年金制度は日本から学んだものだ。「強制動員」されたとする労働者が「厚生年金」に加入していたことは、どうも違和感が残り、後味が悪い。

太平洋戦争中の日本は1944年9月まで、半島に対する徴用をためらい、朝鮮半島出身者の「徴用」が可能になったのは10か月間あまりだった。しかも、米軍の攻撃で釜山と下関との船便が途絶えたこともあり、実際、1945年の終戦まで日本への徴用が可能だった期間は6か月間あまりしかない。

91歳のチョンさんと一緒に名古屋の三菱工場で働いた94歳のヤン・グムドク(梁錦徳)さんは、勤労挺身隊員になった経緯を自伝「死ぬ前に聞きたい一言」に詳細に書いてある。

韓国南西部の全羅道ナジュ(羅州)出身のヤンさんは、小学校6年生の時の1944年5月、日本人の校長から「中学校に進学させてあげる」という言葉にだまされたと回顧している。韓国メディアはあまり言わないが、当時はヤンさんの17歳の時だ。

当時、「男尊女卑」の儒教的な慣習の上、貧しい家庭の娘は小学校の入学が遅れたり、途中休学をさせられたりしたので、17歳の小学6年生はあり得ることだ。少なくとも、その時のヤンさんは子どもではなかったとのこと。

ヤンさんは勉強と運動が優秀で学級長となった。日本に行って中学校に進学したい、貧しい環境でも未来を自分の力で切り開きたい前向きな少女だったようだ。

小学校で「日本行き」に手を挙げたが、家に帰ってそれを話したら父親は激怒した。ヤンさんは翌日「日本に行かない」と担任に話したが、「指名を受けてから行かないとなれば、両親が警察署に入れられる」と言われたという。

ヤンさんはその言葉を聞いて怖くなり、「棚から父のハンコをこっそり取り出して担任教師に渡した」と回顧している。

こうしてヤンさんは勤労挺身隊の隊員として日本に渡った。同じ地域で合計288人の女性が「連れて行かれた」と表現されているが、少なくとも17歳の場合でも、保護者の判子は必要だったようだ。

ヤンさんは、三菱重工業の名古屋航空機製作所で働くようになった。名古屋城が背景になっている当時の「団体集合写真」を未だに持っている。強制動員された労働者に都合の悪い集合写真を渡した理由は分からない。

2021/12/08 15:30配信 WOW!Korea
https://www.wowkorea.jp/news/korea/2021/1208/10326301.html


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